atoiuma’s blog

人生あっという間。マイペースにおもしろく。

9ヶ月ぶっ通しで働いてみた感想

f:id:atoiuma:20201230101139j:plain

いよいよコロナ禍で世界中が苦しんだ2020年が終わろうとしている。まさかこんな時代を経験することになるなんて思いもしなかった。世界史に刻まれてしまう1年、よくぞ生き抜いた。

 

さて、そんなコロナ禍で3月から取り組んでいた「快適に生きる」実験がひとまず終了するので、その記録を書いていく。

 

まずは、今までの過程を。

attoiumablog.com

最初は早起きから始まった。早起きするといろんなお得がありますよという話。特に満員電車を避けられたことは本当に大きい。

 

attoiumablog.com

仕事が休みの日に早起きが難しいということで、毎日働いてみることにしたという話。

 

attoiumablog.com

毎日4時起き、毎日労働の生活が板についてきたという話。頑張らないこと、人間関係が良好なこと、緩い強制力があることが継続のコツだと書いてある。

 

以上を踏まえた上で、276連勤達成した今の気持ちや記録を。

 

負荷を増やしたら、徐々に疲弊してきた

ずっと午前中〜の仕事をダブルワークでやってきたのだが、11月から夜のバイトも加えてのトリプルワーカーとなった。私の計算では、問題なく稼働できるはずだった。

 

実際にやってみると、不可能ではなかった。健康も害していないし、ちゃんとサイクルは周る。ただ、徐々に疲弊してきた感がある。それは寒さのせいかもしれないし、飽きのせいかもしれない、あるいはオーバーワークなのかもしれない。

 

まあ、バイトで生計を立てるのにも限度があるし、このスタイルで行けるところまで行った感がある。

 

自分の取説をつくるということ

276日、つまり9ヶ月以上毎日休みなく働き続けると、働くことが本当に当たり前になる。オンとオフも曖昧になって、実にいい感じだ。これが私の一つの正解なんだな。

 

自分で訓練して引きこもりを脱出し、人とコミュニケーションすることや国内外の旅は出来るようになった。しかし、働いてお金を稼ぐということがどうにも苦手で、大きなネックになっていた(今でも苦手だけど)。そんな私が、毎日強いストレスを感じずに働くことが出来ているのが信じられない。これは大きな希望であり、発見だった。

 

「頑張る」とか「根性」は私には機能しないソリューションだ。だから、工夫が必要。自分はどうやったら稼働するのか、どうしたら快適なのかを試し続ける。やり方が重要なのだ。それは今回の実験で証明されたと思う。

 

21世紀になって、どんどん科学技術が進んでいる。その中で「人類全体の取説」である脳科学も発展しているが、しかしやはり人間はそれぞれ遺伝子、条件や能力、嗜好が異なる。自分の取説は親がプレゼントしてくれるわけじゃないから、自分で作らないといけない。そのためには、とりあえずやってみて反応を見るしかない。地道な作業だけどやっていると結構楽しいし、気持ち良いポイントが見つかると幸福度がグーンと向上する。

 

友人たちには「すごいね!私には真似できない!」とか「やっぱりあんたは変態だね」なんて言われている。4時起きは確かに少数派だと思う。常識外だ。でも、だからこそ隙間がある。競争相手がいない空間は快適だ。みんな常識に従うのなら、私はそれを解体して自分に合ったルールに構築し直して、隙間に生きていきたい。

 

仕事はできるが、自己学習はなかなか定着しない

朝4時に起きること、毎日働くことは出来た。どうすればその生活が維持できるかもある程度ノウハウが溜まった。ところが、このメソッドが勉強にはなかなか応用できない。

 

タイ語、プログラミング、大学、動画編集などやることはたくさんある。加えて、このブログだったり読書もしたいので、テキパキバキボキやっていかないといけない。ところが、なかなかうまく自分が稼働しない。ポモドーロテクニックを使ってみたり、昼寝を取り入れてみたり、ご褒美を設定したりもしているのだが、しっくりこない。これがちょっと悔しい。来年の課題だ。

 

まとめ

この実験は、コロナ禍だからこそ出来たことだ。もしコロナがなかったら、とっくに連休取ってタイに行ってカオマンガイ貪ってたよ!

 

コロナによって翼をもがれたからこそ、なんとか地上での生活を快適にするために試行錯誤を重ねた。すると、そこそこの成果が手に入った。そういう意味ではコロナのおかげだとも言える。なんでもご機嫌にプラスに使っていくスタイル。

 

もう人生で276連勤なんてすることはないだろう。来年はコロナが落ち着いて海外旅行に行けると信じているので、ガッツリ休んで異国の空気を腹一杯吸う予定。

 

くだらない実験だったけど、取り組んでよかった。

ケーキの切れない非行少年たちを読んで思ったこと

f:id:atoiuma:20201029191401j:plain

11月になった。すっかり涼しくなって、とても過ごしやすい。

 

私は暑がりなので、基本的に半袖で動き回っている。すると会う人会う人みんな「寒くないの?」「大丈夫?」「マゾなの?」と聞いてくる。終いには見知らぬギャルから「何あれ、半袖なんだけど!やばくない?笑」と笑われる始末だ。やかましいわ!

 

思えば引きこもり脱出したばかりの頃は、そういう言葉が気になって暑いのに上着を着ていた時代もあった。自分の幸福を追求するのが人生なのだから、他所様の言葉なんて流しときゃ良いのにねえ。今は自分の欲求に従って生きているのでストレスは大きく減った。そういえば、先日落合陽一さんが「みんな違って、みんなどうでもいい」とツイートしてて、良い言葉だなと思った。ほんと、どうでもいい。

 

さて、そんな素敵な季節に、素敵な本に出会った。帯の衝撃度がすごい。とても面白かったので、感想を。 

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

  • 作者:宮口 幸治
  • 発売日: 2019/07/12
  • メディア: 新書
 

「反省以前」の子供たち

悪いことをしたら、反省をする。一見それは当たり前のように思えるが、実は自己内省の能力が必要になる。内省能力がない人たちにとって、反省することはとても難しい。

 

帯に書いてあった、三等分したケーキの図。あれを書いたのは、窃盗や強姦、殺人などの犯罪を犯して少年院に入った中学生や高校生たちである。当然ふざけているわけじゃない。真面目に考えて、あのような切り方になってしまう。そこには、認知機能の欠陥がある。

認知機能とは、記憶、知覚、注意、言語理解、判断・推論といったいくつかの要素が含まれた知的機能を指します。人は五感(見る、聞く、触れる、匂う、味わう)を通して外部環境から情報を得ます。そして得られた情報を整理し、それを基に計画を立て、実行し、さまざまな結果を作りだしていく過程で必要な能力が認知機能です。つまり、認知機能は、受動・能動を問わず、すべての行動の基盤でもあり、教育・支援を受ける土台でもあるのです。 p.49-50

例えば、「ガンつけてんじゃねえぞこら!」と食ってかかってくるタイプの人。私も経験があるが、もちろんこちらから睨みつけるわけがない。むしろ、向こうのほうが何百倍も怖い目つきをしている。なぜそんな頓珍漢なことが起こるのか。それは、彼らに「見る力」が欠けているからだ。うまく見えていないので、想像でより悪い方にイメージしてしまうらしい。

 

個人的に衝撃的だったのは、認知行動療法は、ある程度の認知機能を持った人にのみ有効という指摘だった。逆に言えば、認知機能に問題がある人に効果はないのである。世の中には、認知行動療法ではリーチできない層がいることは知らなかった。

 

認知機能が欠けた人たちに反省を促したり、一般レベルの作業や勉強を求めることは無意味だし、向こうにとってもわからないことだらけでとてもストレスなのである。これは個人的にとても大きな発見で、今まで生きてきた中で違和感を覚えた人たちのことが、ストンと腑に落ちた。

 

成長の鍵は、自己への気づきと自己評価の向上

認知機能に問題があると、いろんなことがうまくいかない。勉強、コミュニケーション、運動。。。失敗して恥をかいたり、周りから怒られたりが日々起きる。すると、居場所がなくなって非行に走ったり(悪いことをすると面白がられ孤独が癒えるので、そのためにやっている人もいる)、自信を失って投げやりになってしまったり、溜まったストレスの吐き出し口として幼女を襲ったりしてしまう。

 

彼らは本来早期発見され、適切な教育や治療を受けるべきなのだが、今の日本教育ではスルーされる傾向にある。結果、彼らが発見されるのは犯罪を犯して少年院に入ったあとになることが多い。とても悲しいことだが、それが日本の現実だ。

 

そんな彼らが適切な教育や支援を受けると、徐々に回復がみられることがある。それはケースバイケースでいろんなパターンがあるのだが、大きく分けると、「自己への気づき」「自己評価の向上」の2つに分けられる。

 

自分が変化するためには、まず自分の現状を把握しないといけない。窃盗や殺人、強姦をする自分は間違っていると言う認識を持たない限り、人は変わらないのである。逆に言うと、気づけば、そこからは変化していくことができる。自己への気づきはとても大事。

 

次に、自己評価の向上。周りの人から馬鹿にされたり虐められ続けてきた彼らには自信がない。しかし、当然彼らにだって向上心はある。適切な認知能力を鍛えるレッスンを踏めば、どんどんできることが増えてくる。成功体験が集まってくれば、自信も獲得できるのである。

 

「自己への気づき」と「自己評価の向上」が成長の鍵というのは、元引きこもりであった私の経験からも納得できる。引きこもってから本を読み始めたり、ものを考えたり、日記を書き始めた私にとって、いろんなことが自己への気づきとなった。それは今でも続いていて、自分が変わるきっかけになったり、今の大きな原動力である好奇心に繋がったりしている。

 

また、自己評価の向上も引きこもり脱出に大きく役立った。ざっくり言えば、自己肯定感がゼロになってしまい、被害妄想に取り憑かれたから私は引きこもったのであった。兎にも角にも自分自身をいじめるのが得意で、自殺スレスレまで追い込んだ時代もある。そんな時手にとった脳科学の本に「他者との比較世界で生きなくても、昨日の自分より今日の自分が少しでも成長していれば脳は喜ぶ」と書いてあり、それが希望となった。そこからはなるべくマイペースに生きるように気をつけて試行錯誤を重ねた。すると徐々に状態は回復し、気づけば一人で海外に出かけていた。小さい成功体験の積み重ねが自信を育み、行動を変える。少年院の子供たちが成長するきっかけが、自分の引きこもり脱出の時のものと似ているのはとても面白いと思った。

 

犯罪者を納税者へ

この一節には思わず笑ってしまった。面白いことを言うなぁ。 

 

でも、その通りだと思う。前に書いた通り、本来は早期発見早期治療されるべき子供たちがスルーされ、犯罪を犯した後に発見されるケースが多い。これは社会にとっても、そしてもちろん本人たちにとっても大きな損害だ。なんとかしてそこを救い上げられるようなシステムがあればいいと思うけど、先生たちも残業やら何やらで大変みたいだし、いろいろ難しいんだろうな。少子化の日本だからこそ、きめ細かい教育や支援ができたら素敵。

 

まとめ

キャッチーなタイトルと帯でどんな内容かと思ったら、とても真面目に書かれた教育の本だった。親御さんはもちろんのこと、一般の人も面白く読めると思う。

 

成長ってのは実はシンプルで、「分からないところ、できないところまで戻って、訓練して、クリアして達成感を得て次に行く」ことなんだなと。周りとの比較ではなく、自分との比較を。

半年間ぶっ通しで働いてみた感想

f:id:atoiuma:20201002123519j:plain

10月になりました。秋ですね。読書にスポーツに食べ物に、何でもござれの素晴らしいシーズン。

 

涼しくて何がいいかって、夜中に目覚めなくて済むことだ。快眠。しかし快眠しているにも関わらず、眠い。無限に眠い。惰眠の秋。

 

さて、そんな気持ちがいいシーズンに180日連勤を達成したので、その記録を残しておく。

 

その前に、5月に2ヶ月連勤した時の記事がこれ。 

hirosweets.hatenablog.com

 

ざっくりまとめれば、習慣の力ですね。毎日同じ時間に起き、家を出て働き、同じ時間に眠る。平日も土日もなく、繰り返していく。すると、憂鬱とか反動の来るハイテンションもないし、低負荷で日々を生きることができるという話。

 

では2ヶ月連勤から半年連勤まで継続して、新しい発見はあったか。

 

基本的には、ない。発見というよりも、蓄積。この生活に対する新鮮さが消え、いよいよ血肉化してきた気がする。自分の中では完全に朝4時起床が常識となっており、6時起きの人生は考えられない。きっと来年以降海外を旅する時も(コロナ、来年は頼むぞ!)起床時間は4時に固定すると思う。みんなが寝静まって静かになった時間に、ひとりスッと起きて1日を始める人生は良いものだ。

 

それにしても、ズボラな私がよくもまあ続いたものだなと我ながら感心する。半年間毎日続けたことは大きな成功体験であり、達成感もある。やはりコツは「頑張らないこと」だなと。頑張らないから続けられるしストレスもない。淡々と安定して稼働することができる。ミヒャエル・エンデの小説「モモ」に出てくるベッポじいさんのように、一つずつ。

 

人間関係が良好なことも大きい。アドラーの言う通り「全ての悩みは、人間関係である」で、どんな人たちと働くかで仕事の難易度やストレス具合が全く変わってくる。今は毎日笑って働けるところにいるので、職場が居場所の一つとして機能している。自分という人間が受け入れられ、笑いながら仕事をしてお金を頂けるという環境はアメージングだ。

 

仕事を絡めていることで緩い強制力があるのもポイント。もしこれが「毎日英語の勉強をする!」だと、サボっても困るのは自分だけだから挫折しやすい。かといって、ガッチリ強制力だと今度は息苦しくなり、日々が憂鬱になって崩壊していく。「憂鬱でなければ、仕事じゃない」という本があるが、私には毎日憂鬱を引き受けた上で生きていく力もモチベーションもないので、パス。アジカンブルートレインのサビの歌詞「日々に潜む憂鬱 それすら消えて無くなってしまうまで 生きたい」スタイルで人生に取り組んでいきたい。

 

とりあえず毎日労働スタイルで年内はやっていく予定。来年以降は海外にも行きたいからいろいろ変化するとは思うけれど、コロナ次第。未来はわからない。来るべき時に備えて、働いておく。

 

この継続メソッドを使って何か新しい技術を習得して、より人生が豊かになればいいと思っている。そっちの方の実験も始めていこう。 

10年ぶりに歯医者に行ったら、歯にハマった話

f:id:atoiuma:20200921174406j:plain

 

昔から歯のトラブルがとても少なかった。虫歯になった記憶はないし、特に困ったこともないから、周りの人が虫歯だ親知らずだと騒いでいる時も、他人事としてへーと聞いていた。

 

どうやら人によって歯の質があり、虫歯になりやすい人となりにくい人がいるらしい。私は後者なんだなということで、恐ろしい歯医者にはお世話にならずに今生を全うできると思っていた。

 

ところが、予防医学について学んでみると、歯のケアはとても重要らしい。痛みや症状がなくても歯周病は進んでいる可能性があり、放っておくと生活習慣病に関わったりなんだりととても面倒なことになると。

 

歯の大切さは、最近出会った素敵な人生の大先輩たちが皆歯の病に苦戦していることからも分かった。みんな見た目も中身も若く、「老人」なんて言葉で形容するのを躊躇うくらいだ。しかし、歯は入れ歯だったり、差し歯がすぐに抜けたりしている。歯がしっかりしないと、固いものはもちろん食べられないし、そもそも食欲が落ちるらしい。3大欲求の1つである食欲を気持ちよく満たせないというのは、実によろしくない。

 

これはまずい!なるべく楽に人生をやっていきたいので、めんどくさい病気にはなりたくない!というわけで、恐る恐る10年ぶりに歯医者に向かったのだった。

 

10年も行ってないので、そもそもかかり方がわからない。周りの人に聞いてみると、歯医者は基本予約制らしい。ちょっと普通のクリニックとは違うな。怖いな。。。

 

歯医者へのイメージは大きく2つある。ひとつは、美人の歯科衛生士。なんだか知らないが、歯科衛生士は女性で、しかも美人であると私の中で勝手に決まっていた。もうひとつは、子供の悲鳴。どうしても古畑任三郎大地真央の回を思い出してしまう。すごく痛いんだろうな。。。痛くないですよーとか先生は言うけどそれは大体嘘で、引くくらいの激痛なんだろうな。。。憂鬱。

 

周りに歯医者へ行くと宣言したものの、3週間ほど先延ばしした。やっぱり怖いからだ。最初は理解を示してくれていた同僚も、次第に痺れを切らし、「とっとと行ってこい、この臆病者!」と罵るようになってきた。確かに、小さい子供からお年寄りまでみんな歯医者に通っているのだ。私にだって出来るはずだ。もたもたして重い病気になってもしょうがないから、ドカンとその場で電話し、予約を取り付けたのだった。

 

さて、当日。手のひらをびっしょり汗で濡らしながら歯科クリニックへ到着。受付の女性は綺麗だった。しかしその綺麗さが逆に恐怖を募らせた。落ち着かない。そんな時はタイのヤードム(吸い薬。鼻からリフレッシュ)で深呼吸し、不安定なメンタルを整える。前回タイに行った時大量に買い溜めしておいて本当に良かった。酒もタバコも全くやらないが、ヤードムはバッチリ決めていくスタイル。

f:id:atoiuma:20200921181611j:plain

 

名前を呼ばれたので、中に入る。緊張する。案内されるがままに席につく。ざっくりと歯のチェックをされる。その後、レントゲン。どうやら初日は治療というよりも状況把握、そしてこれからの方針決めのようだ。安堵した。

 

実際に私の歯の具合はどうだったかというと、親知らずが一本虫歯になっており、抜くことも考えないといけないらしいが、他は問題なかった。歯周病は初期だかなんだかで、歯茎が腫れていると。でも、まだ若いし全然問題ないとのこと。若いうちに受診するのはナイス!ラッキーです!やった!

 

最後にちょろっとだけ歯石を取ってもらった。びっくりした。取ってもらった箇所の舌触りが全然違うのだ。なんだこれは!みんなこんな口内環境で生活していたのか。ずるいぞ!

 

というわけで、歯医者デビューは予想していたよりもずっと穏やかに終わった。そこからしばらくは毎週通うようになり、下の歯、上の歯と順番に歯石を取っていった。痛くない。痛くないぞ!なーんだ、恐るるに足らずじゃないか!とか思っていると、たまに会心の一撃が入る。歯と歯茎の間、このウィークポイントをこれでもかと攻めてくる歯科医衛生士。なんていやらしいんだ!いや、違う。そういう溝にこそ磨き残しがあって汚れているのだ。

 

歯石を取ってもらうと同時に、毎回歯の磨き方やケアの方法を教わった。これがまた面白くて、歯ブラシの歯磨きだけでは、6割ほどしか汚れが取れないらしい。じゃあどうすればいいかというと、歯間ブラシデンタルフロスという2つのアイテムを使うのだ。これを毎晩使って歯を磨くのだという。なんとまあ。。。めんどくさい。。。でもそうしないと、歯の健康は保てないとのこと。うーん、じゃあやるしかないか。。。

f:id:atoiuma:20200926231525j:plain


ところが、やってみるとこれがすごく面白い。最初は歯ブラシで磨き、その後に歯間ブラシを刺す。最後に、デンタルフロスで仕上げ。すると自然と歯の一本一本に意識がいくようになって愛着が湧いてくる。名前をつけたくなるくらいだ。いやそれは嘘だけど、でも自分の歯全体の特徴、歯並びなどを把握していく作業は新鮮だ。そして、もちろんしっかりケアするときれいになって気持ちがいい。素敵な習慣。まさかめんどくさがりな私が毎晩ご機嫌にデンタルケアをする日が来るとは。。。

 

ちゃんとケアをすると、しっかり成果も出る。歯茎が締まってきて、健康的になる。先生も褒めてくれる。口内環境がどんどん改善されていくのは、レベルが上がっていくみたいで楽しい。歯、楽しい!

 

好奇心をガソリンにして生きているので、こういうポジティブな心の動きは見逃さない。もっと知りたいので、本を買った。

f:id:atoiuma:20200926232501j:plain

 

欧米のエリートは歯を大事にすると。その背景には、ルックスを重視するカルチャーがある。歯並びが悪いことは見た目も悪いし、教養がないと判断されるらしい。また、日本人に比べてハグやキスが多い欧米では、口内環境を清潔に保たないとコミュニケーションに問題が生まれるらしい。面白い。さらに面白かったのは、欧米には国民皆保険がなく、歯で大病を患うと大金が吹っ飛ぶので予防医療に努めるということ。なるほど、そういう行動原理なのか。日本はみんな3割負担で済むから、健康意識がそんなに高くない。確かにもしこれが全額負担となったら、お金払いたくないし健康に気を使うだろうな。

 

歯に関心が出てくると、だんだんと矯正も面白そうだなと思えてくる。見た目もそうだし、歯を磨く時にも歯がきれいに並んでいた方が楽。欧米では歯並びが重要視されるので、グローバルパーソンの私としてもやっておいて損はない。金額は高いが、でも歯は一生ものだ。大人でも矯正はできるらしいので、ちょっと考えていきたい。でも、3年とかだったら嫌だな。1週間で終わりにしてほしい。

 

というわけで、すこぶる怖かった歯医者だけど、いざ行ってみたら新しい世界がバーンと開けた。歯、楽しい。勇気を振り絞って本当に良かった。皆さんも、ぜひ行ってみましょう。

タイ語学習を半年続けたのでその記録

f:id:atoiuma:20200811195013j:plain

去年バンコクに行った時の写真。ライフ is スイーツとはまさに私のためにあるような言葉だ。ここのマンゴープリンが美味しい。早く行きたい。。。

 

さて、タイ語を習い始めてから、早いもので半年が過ぎた。よくぞ挫折せずに続けた!えらい!

 

日本語、英語に続く第三言語であるタイ語を半年やってみて、思ったことやメモを残しておく。

 

 

 

半年学習した今のスペック

  • スクールで、発音編→会話編まで進んだ。
  • タイ文字はまだ習っていないが、独学でとりあえず書くことは可能。
  • タイの映画やドラマを見ると、簡単な挨拶は聞き取り可能。
  • タイの友人たちにボイスメッセージを送ると、とりあえず理解してもらえるが、たまに「はー?」と言われる(その時は深く傷つく。。。) 

 

発音について

一般に、タイ語の発音は難しいと言われている。実際に半年やってみてその通りだと感じている。いったい何が難しいのか。

 

まずは「声調」だ。中国語やベトナム語にもあるシステムで、音の高低のこと。上がったり下がったりすることで意味が変わってしまう。日本でいう「雨と飴」「箸と橋」みたいな感じだ。日本語、特に標準語は音の高低が少ないので、最初タイ語を喋るときは体力を使った。ただ、声調に関しては個人的にそれほど難しくは感じない。慣れてしまえば、クリアできる。

 

問題は、「有気音と無気音」「末子音」などの小賢しい音たちだ。実にめんどくさい!

 

有気音と無気音はその名の通り、息を吐く音と吐かない音のこと。息を吐かないってなんだよ!と思うんだけど、実は「ガギグゲゴ」とか、息がほとんど出ていない。私たち日本人はその識別をしないのだけど、彼らはする。それによって意味が変わるのだ。。。ティッシュを口の前に置いて練習するんだけど、ストレスでハゲそう。だから最近は雑にやっている。髪は財産だ。守らねば!

 

末子音とは、末尾の音だ。例えば、jet, jep, jekという音がある。日本では「ジェット、ジェップ、ジェック」となる。ところが、タイ語では語尾を発音しない。つまり「ジェッ、ジェッ、ジェッ」となる。でも、音は3つとも違うのだ。t、p、kの音の前の口は違うからだ。tの時は、舌が上にくっついてるし、pは唇が閉じている、kは口が開いている。ところが、その音の違いがわからない。pはなんとなく口が閉じるような音が聞こえるのだが、kとtはダメだ。同じ音だ。自分では同じ音だなと思いながら発音をするのだが、先生はちゃんと聞き分けている。アメイジングタイランド

 

他にも母音の数が多いとか、「あ」と「う」の間の音とか細かいことが出てきてもう嫌や。自分の中で「これが正しい発音!」という軸がまだ定まっていないというのもあって、ストレスフル。

 

音に不安があると語学学習がしんどくなる。特に私は英語の勉強を音読中心にしてきたので、余計にそう感じる。大事なのは、とにかく声に出すこと。間違った音で覚えたくないから、ネイティブのCDを聞いてそれを真似たり、シャドーイングしたり。そうすると、どんどん英語が血肉化してきていい感じになってくる。これを一つの成功体験として、タイ語にも応用していきたいわけだ。ところが、ご覧の有様である。だからもうタイに留学したい。そして一日中タイ人ともみくちゃになって、バンバン発声したい。そうすればどんな音が彼らに通じるのかがわかるし、自信もつくに違いない。

 

なんか愚痴っぽくなってしまったので、明るいことも書いておこう。

 

私はタイ語の音が好きだ。毎週スクールに行って先生の発音を聞くたびに、きれいだなと思う。何がどう好きかはうまく言語化できないので、いくつか動画を載っける。

 


แผลเป็น(SCAR) - Atom ชนกันต์ [LYRIC AUDIO]

 


PLEASE - Atom ชนกันต์【OFFICIAL MV 】

 


อ้าว - Atom ชนกันต์ [Official MV]

 

お気に入りのatom。もちろん何を言ってるのか全然わからん。でも、聞いてて心地良い音。

 


【ピムとタイ語】ありがとうと言われたらどう返事すればいい?💐คำตอบรับคำขอบคุณ

 

0:50に出てくる「コップンナー」とかすごく可愛い音だ。音の高低があると、感情が乗っかっているように聞こえる。関西弁が好きな理由に似ている。

 

また、タイの男性は語尾に「クラップ」を、女性は「カー」をつけるのだが、語尾の伸びる感じがすごく好き。でも、男性は伸ばせない。なんで男性はクラップなんだ、私もカーがいいぞ!と思って先生に聞いたら、「気持ち悪いのでやめてください」と言われた。タイ人女性の中には、彼氏に「カー」を使って欲しい人もいるらしい。でもそれは女っぽく聞こえるので、基本はクラップでいくべきとのこと。やっていくしかないか。。。

 

文字について

タイ文字に関しては、独学でやっている。使っている本は、これ。

タイと日本人のハーフである中島マリン先生の本。 とりあえず文字はだいたい書けるようになり、今は読み方を中心に学習している。

 

独学だしまだ終わらせた訳じゃないのでなんともいえないのだけど、タイ文字は難しくないと思う。確かにルックスはぶっ飛んでるけど、いざ取り組んでみると覚える量は少ないし、毎日書いてれば慣れてくる。実は今、タイ文字学習が一番楽しい。仕事の休憩時間にサクッとやるのが日課で、毎日楽しみにしている。

 

文法について

 

まだ発音編を終えて会話に入ったばかりなのでこれまたなんとも言えない。

 

第三言語を学ぶということについて

明らかに英語学習の経験が活きてるから楽。言語の基本的なルールは英語で学んでいるので、「これは英語でいうwhatですよね?」なんて形で整理していく。そうすると、inputが早い。

 

タイ語人格について

言語にはモードがあると考えている。私の場合、日本語を話している時と英語を話している時ではキャラクターが違うのがはっきりわかる。英語を使うと、ユーモアが自然と出てきたり、ポジティブになったり、感情表現が豊かになる。日本語では恥ずかしいと思うことも、英語ではさらっと言えたりする。このモードが手に入ったことは、英語を学習して良かったと思う大きなポイント。多分「演技する」という行為に近いと思う。人前で舞台に上がってあれこれやるのは恥ずかしくて無理だけど、外国語を身につければそれが日常生活でできるのだから素晴らしい。

 

タイ語が使えるようになったらタイ語モードが手に入るのではないかとワクワクしている。ただ、まだ半年だし、人格を持つほど使ってないので今のところ変化なし。どちらかというと、日本語モードでタイ語を使っている印象。早くタイモードが欲しい。

 

スクール学習の効果

タイ語は発音が重要で、しかも難しい。だから独学ではなくちゃんとスクールにいくべきだとされている。結果、それは正しかった。独学だったら挫折していたに違いない。というか、過去に本を使っての独学に失敗してるんです、私。もちろんyoutubeに音源もあるし、発音が細かく書かれている本もあるから独学できないわけじゃないと思う。でも、やっぱりお金を払ってでもスクールに行く価値はある。

 

メリットとして、

  1. 強制力が働くので挫折しにくい。
  2. 勉強のリズムが出来る。
  3. タイ語を勉強する仲間ができる。
  4. 日本語を話せるタイ人先生と関われるので、語学の質問も出来るしタイ社会について面白い話も聞ける。
  5. サードプレイスになる。

 というわけで、これからも通学する予定。

 

週一でも、語学は伸びる

最後に、これ。

 

受験生の時によく言われたのが、「英語は毎日やれ!1日サボるだけで勘が鈍る!」だ。私が英語の勉強をしていた時代も確かに毎日やっていた。継続は力なり。

 

で、基本的には週一しか学んでない(文字の練習だけはほぼ毎日している)タイ語がどうなっているかというと、ちゃんと伸びている。単語の知識も溜まってきたし、発音も少しずつ上手になっていると思う。 もちろん成長スピードは早くないが、ちゃんと進んでいる。これは発見だった。そんなに根詰めなくても、語学は伸びるのだ。

まとめ

思いつきで書いた割には盛り沢山になった。半年後自分のタイ語がどうなっているのかとても楽しみ。私のことだから辞めてるかもしれないけど、それはそれでマイペンライ

 

あー早くカオマンガイ食べたい。アマゾンカフェのグリーンティー飲みながらだらだらしたい。

「自分の薬をつくる」を読んだので感想。

f:id:atoiuma:20200816144003j:plain

お気に入りの作家の一人、坂口恭平。彼の新作を読んだ。

 

双極性障害である著者が開いたワークショップを元に書籍化したもので、集まったお客さんの悩み相談を、医師役である著者が答えていく過程が書かれている。著者のユーモアとクリエイティブがドカンと表現されていてとても楽しかったし、勉強にもなった。彼の主張と私の経験が重なるところが多かったのも楽しく読めた理由の一つで、そこんとこを書いていきたい。

自分の薬をつくる (日本語) 単行本 – 2020/7/14

 

薬とは、日課である

薬とは何か。言うまでもなく、毎日服用するものだ。

 

では、他にあなたが毎日していることは何か。「睡眠」「歯磨き」「掃除」などなど。これらは「日課」と呼ばれている。

 

つまり、薬とは、日課である。自分の薬を作るとは、自分の日課を作ることである。

 

一見ただの言葉遊びのように思えるけれど、これがかなりすごい力を持っている。著者は双極性障害で、本来は通院と薬の服用が必要だ。ところが、自分の生活をデザインし日課を作り出すことで、現在病院無しの生活を送っている。毎日4時に起き、決まった日課をこなし、夜9時に眠る。それを繰り返すことによって自分自身のコントロールに成功し、状態が安定しているのだ。

 

この「日課=薬」という定義は個人的にすごくしっくり来ている。というのも、今の私の生活が日課によって支えられ安定していることを日々実感するからだ。

 

前にこんな記事を書いた。「満員電車が嫌すぎるから朝4時起き生活にしたら快適だったよ」という話と、「働く日と働かない日があると落差に疲れるから毎日働いてみたらこれまた快適だったよ」という話。

hirosweets.hatenablog.com

hirosweets.hatenablog.com

今現在はというと、早起きも毎日労働も継続している。最近は3時起きして出社前にちょっぴりお勉強をしている。仕事は140連勤を突破した。

 

この一見ヘンテコな日課が、とても気持ちいいのだ。そりゃ全く疲れないわけじゃないけれど、大きなストレスや疲労はない。まさかこんな形が自分に合っているとは思いもしなかったが、多分これが私にとっての正解の一つなんだと思う。コロナ禍で海外に行けないという環境だからこそ試せたし、気づけたこと。これからもベースはこんな感じでやっていきたい。こうやって生活を試行錯誤してデザインしていくの、楽しい。

 

適当なアウトプットをせよ

インプットしたら、アウトプットをするのが自然だ。ご飯を食べたらしっかり消化して、ちゃんとトイレで出す。酸素を吸ったら、二酸化炭素を吐き出す。ご飯を食べ続けて便が出なかったら不健康だし、息を吸い続けて吸わなかったら死に至る。人間の体は自然に出し入れをしている。

 

ところが、情報社会に生きる私たちは、実はインプットばかりしてはいないだろうか。スマホを握り締めてsnsyoutube、友人からのメッセージなどを大量に浴びて生きているが、それに対応するアウトプットをしていないのではないか。これって不健康なのでは?

 

しかし、アウトプットはなんだか気が重い。インプットは適当にやるくせに、アウトプットとなると「めんどくさい」「下手にやると怒られるからしっかり準備しなくちゃ」「私の表現なんか誰にも評価されないし。。。」という具合に急に真面目になって引っ込んでしまう。

 

だから、適当なアウトプットのススメ。それで褒められるとかお金を稼ぐとかではなく、便を出すように、息を吐くように、生きるために作り、表現する。実際坂口さんはとんでもない量のアウトプットをしている。毎日文章を書き、絵を描き、料理し、陶芸や編み物、ギターで歌ったりもする。最近は畑に行って野菜も作っている。自殺者を無くすために、自分の電話番号をwikipediaで公表し「いのっちの電話」を一人でやってもいる。凄まじいわ。(ただ、ここんとこのTwitterを見てると、ちょっと躁モードが来てる気がするんだけど大丈夫だろうか)

 

彼には遠く及ばないけれど、私もこのブログやsnsでしょうもない発信をしている。このブログとは別に日記も毎日書いている。日記を書くようになったのは引きこもった後からで、怠け者の私が10年以上も続けているのだからやっぱり気持ちがいいんだろう。そういえば、引きこもり時代の日記には「自己解放!」とか「自分を出す!」とか「息苦しいから表現する!」なんて言葉がたくさん羅列されていた。アウトプット大事。

自閉のススメ

人と会うことは楽しいことだ。でも、毎回会う人が全て自分を受け入れてくれるとは限らないし、調子が悪い時に揉めたり批判されると、グッとメンタルが乱れる。そういう時は、会わない方がいい。坂口さんの場合は、調子が良すぎる時も会うのを控えるらしい。

 

意外だったのは、彼が打ち上げが苦手だったということ。てっきりお祭り好きでガンガン盛り上がるのが好きだと思っていたら、実は少人数でゆったりするのが好きらしい。飲み会はなるべく断るそうだ。夜9時に眠る人だと周囲に認知されたら、誘われることは無くなったらしい。

 

最近では満足した瞬間に「満足したので帰ります」と言って、すぐ席を立ちます。席を立って、その場から離れるととても気が楽になります。 p159

 

なるほど、これは使える!みんなどんどん満足して帰りましょう。

 

私自身も、飲み会にはほとんど行かない。坂口さんと同じように大人数で会うのが苦手なので、基本的にはマンツーマン、多くても4人くらいの集まりにしか参加しない。そんなスタイルでも別に孤独にはならないし、問題はない。

 

コロナになって、人と会う機会が減った。でも、それで特に大きなストレスはない。チャットが出来れば結構満足することがわかった。人と会わないとなると、自然と大きな駅(渋谷、新宿、池袋など)に行く機会も減ったのだけど、これがすごく心地良いことにも気づいた。ショッピングモールで買い物なんてしないし、お酒を飲むわけでもない。元々人混みやざわざわしたところが苦手なので、むしろ日々のストレスが減った。友人宅にお邪魔したり、こじんまりとした駅近くのお店でおしゃべりすることが快適。あるいは、自宅でネットや本から情報を得ることもいい。

 

自閉しつつ、多様な刺激を脳みそに送り込む。 p226

 

はすごくいい言葉だなと思った。

まとめ

面白いだけでなく、実用的で役に立つ処方箋が盛り沢山。やっぱり坂口さんはすごい。膨大な量の試行錯誤とその言語化、そしてユーモアとクリエイティブがある。 オフィシャルなカウンセラーや医師とは違ったアプローチが新鮮で心地良い。まさにアーティストだと思う。いのっちの電話は彼にしかできない。

 

ひきこもり問題を扱っている精神科医斎藤環先生も本書を推薦している。

https://shobunsha.info/n/n17e8ad634717

 

これからは適当なアウトプットを心がけ、どんどん自分を楽にしていきたい。

 

あと、この歌好き。気持ちが軽くなる。井戸の水飲んで〜♫


坂口恭平 "松ばやし" (Official Music Video)

 

日本人は「やめる練習」がたりてないを読んで、英語での受発信がしたくなった話

f:id:atoiuma:20200710163910j:plain コロナ禍、8月、東京。無茶苦茶暑い。外にいたらあっという間に溶けてしまうので、涼しい屋内に避難だ。毎年8月は「いのち大事に」を掲げているが、今年はコロナのおかげでマスク着用なので、本当に気をつけないと危ない。分厚い体に猛暑は洒落にならんのだ。

 

さて、先日読んだ本の感想を。タイトルにグッと惹かれ、星野ルネさんの「やめると逃げるが同じに見えてしまう社会」という部分を読んで、これはもう読まなくちゃだめだ!と衝動買いした。

f:id:atoiuma:20200710165636j:plain

日本人である著者があるきっかけから外国人と交流するようになり、ついには子供と共にマレーシアに移住する。その中で経験した日本とマレーシアの違いが語られている。本当に面白かった。

日本人は「やめる練習」がたりてない (集英社新書)
 

ハッピーじゃないから、やめる

マレーシアでは、子供の転校が頻繁に行われる。理由は単純明快。「子供に合わないから。ハッピーじゃないから」だ。しかも、学校の選択肢はマレーシア国内だけではない。他の国も対象に入る。自分の子供の才能が生かせる環境はどこにあるのだろうと思考し、試し、ダメなら撤退して次にいく。なんてフットワークが軽いのだろう。。。

 

子供だけではなく、大人も辞める。実際に、著者のお子さんが通っていた学校の教師は、1年間でほとんどいなくなってしまったそうだ。大人も「ハッピーじゃないから辞める」のだ。それは甘えや逃げではなく、自分が幸せになるための試行錯誤。自分の能力が活かせなかったり、合わない環境で時間を使うことはない。次に行こう。

 

日本では、なかなかこうは行かない。履歴書に空白を作ってはいけないし、すぐに退職すると「この人は忍耐力がないのではないか」「またすぐに辞めてしまうのではないか」という印象が付き、就職に不利になる。だから、辞めない。我慢する。しんどい。

 

そういえば、私が去年モリモリ面接する中でよく言われたのが「どうせすぐに会社辞めて旅に出るんでしょ?」という吐き捨てるようなセリフだった。バックパッカーやってたというバックボーンは、社会ではその様に認知されるのだなと驚いた。「バックパッカー生活には満足したので大丈夫です」と伝えても、顔はどこか疑っている感じで、この疑惑を拭えなかったのが就活で失敗した理由のひとつなのかもしれない。めんどくさい。

 

マレーシアでは辞める練習、日本では我慢の練習

著者のお子さんは、日本で保育園に通っている間は好奇心いっぱいで楽しくやっていた。ところが、小学校に上がった途端、元気を失った。毎朝学校に行く時間が来ると、泣き出してしまう。どうやら伸び伸びしていた保育園生活と違い、小学校生活は息苦しかったらしい。そこで、マレーシアに飛び、インターナショナルスクールに通うことにする。

 

すると、英語がわからないにも関わらず、彼は元気を取り戻す。理由は「先生が褒めてくれるから」だ。学校の先生たちは、とにかく生徒たちをよく観察し、褒める。すると生徒たちは自信を獲得し、チャレンジするエネルギーと勇気が得られる。

 

面白いのは、小学生の段階であらゆることを意志決定させることだ。遠足や英語のスピーチコンテスト、運動会など、様々なイベントをやるかどうかは生徒自身が決める。日本の様に運動が苦手な生徒も強制的に運動会に参加するということがない。なんて素晴らしいシステムなんだ!

 

先生たちから温かい言葉をもらいながら、生徒たちは自分で意志決定をする。もちろんチャレンジが失敗に終わることもあるし、運動会に参加しないと決めたけど、あとでやっぱり参加すれば良かったと後悔することもある。でも、それこそが学習なのだ。自分で決めて、その結果を受け入れる。ダメだなと思ったら撤退し、これが好きだ!と思ったら突き進む。自然と試行錯誤、やめる練習が積み重なり、自分という存在を学んでいくことができる教育システム。優秀な生徒は飛び級もある。なんて素敵なんだろう!私もこんな環境で育ちたかった!

 

一方、日本はというと、みんなと同じことをやらされる。イベントは義務だし、意志決定の機会も少ない。先生に好かれるということは、従順であるということだ。最近ではツーブロックがダメだのマスクは白じゃないとダメだの地毛が茶髪でも黒髪に染めろだのとよくわからない規則があるらしい。ほんとくだらないなと思うけれど、しょうがない。学校は「我慢の練習」をするところなのだ。気をつけ!前ならえ!

 

著者は早稲田大学を卒業しているが、

一流大学に行った人の多くが、実はこのゲームの存在に気づいていると思う。彼らは、無意味だなと思いながらそれを実行できる人たちなのだ。やりたくないことも、クールな顔して効率的にやっちゃえる人。好きか嫌いか、必要か不必要かは度外視して実行できる人。だから、有名大学の学生は頭がイイというよりは、一定の「我慢ができる」人たち。無意味だなと思うことを覚えたり、わけのわからないルール、非効率的なことに耐えらえる人材なのだ。   p.93

とコメントしている。面白い指摘。

 

で、これには価値があると。

実際に会社に入ってみると、理不尽さにビックリする。4年ごとに転勤があり、住むところも選べない。私がいた会社には朝礼や社歌、よくわからないルールが山ほどあった。上司は理不尽な要求をし、男性社員は無意味に怒鳴られる。サービス残業は当たり前で、業務に関係ない飲み会が頻繁にある。女性社員だけがお茶汲みを命じられたりする。こういうのに耐えるメンタリティを作るには、日本の学校教育はうまく機能していると思う。自分の頭で考えて「課長、それは違うと思います」という人は、会社にとっては面倒くさいのだから。従来のようなサラリーマンになる人は、今の学校で良いのだろうし、一生それでハッピーな人もいるわけで、これはこれでアリだ。 p.93-94

 

私は正社員を経験したことがないのでわからないのだけど、こんな感じなのか。こういうのってブラック企業だけだと思っていた。早稲田卒の人が入社する様な会社でもこんな感じってことは、日本社会で生きていく上で一番大事なことは「我慢力」ということですね。だったらみんなそう言ってくれれば良いのに。ああ、だから体育会系の人たちが重宝されるのか、理不尽に慣れているから。

 

ついこないだ、バイト先でより効率的で楽なやり方を思いついて上司に提案したら「今回はたまたまラッキーだったんだからな。特別だぞ」なんて言われてイラついた私には日本で正社員は出来ない気がする。会社とは利益を追求する組織で、そこには損得が関わってくる。より低コストで価値が生み出せるならそれを選ぶことはごく自然なことだと思うのだが、その提案は「めんどくさいもの」へと変換される。私はとにかく楽に早く作業を終わらせたい。そんな我慢力のない私が日本社会にうまく組み込めないのは当然なのかも。スッキリした。ちなみに、日本人はイタリア人の2倍働いてるらしい。それで経済が上がってくれれば良いのだけど、巷では「失われた30年」とか言われてる。いろいろ大変だわ。

 

海外のススメ

著者の人生は、そして考え方は、海外と触れたことによって大きく変化した。

 

日本語の情報を入れすぎないこと。英語で情報を取ってくること。日本人だけじゃなく、外国人とも付き合うこと。そうすることで、世界は日本だけじゃなく、無数にあることがわかる。中学生になった息子さんは、アメリカ人、イギリス人、マレーシア人、イラン人、ザンビア人、パキスタン人という多様な先生陣から学び、コミュニケーションしているらしい。めっちゃ楽しそう!

 

私自身も、ちょこっと英語ができるだけで世界が大きく広がった。本当に生きやすくなった。今はタイ語を習い始めたのでタイ人とのコミュニケーションが多いが、学ぶことは多い。コロナが落ち着いたら1ヶ月でも良いからタイに留学して言語を集中して学びつつ、タイの暮らしを経験したいとも思っている。マレーシアにも行きたい。インドネシアにも、ミャンマーにも、フィリピンにも、あちこち行きたい!

 

まとめ

「日本ちょっとしんどいな」と思っている人にオススメ。いろんな発見があります。生きづらさを抱えている人で、お金や時間に都合が着くなら、みんなバンバン海外に行ってしまえば良い。もちろん行ってみたら日本の方がいいと思うかもしれない。そしたら海外生活を「やめれば」良いだけの話。自分の幸福の輪郭が一つ掴めたのだからハッピーだ。

 

思い返してみれば、私が普段仲良くしている人たちは、海外属性のある日本人と外国人がほとんどだ。そんな私が、日本人しか理解できない日本語でブログやTwitterをやるのってどうなんだろう。それよりも、英語でやった方がいいんじゃないか。

 

というわけで、少しずつ英語世界での受発信を進めていきたい、そんな夏。