最近もっぱら読書感想が中心になってしまっている。読書ブログを目指しているわけじゃないけれど、面白いんだからしょうがない。読んだ内容はアウトプットしないと忘れるし役に立たないし、ってことで、今日も読書記録だ。
77冊目。
10年前の本だけれど、いや、だからこそ面白かった。
内容
著者は日本の現状を憂いている。みんなテレビやインターネット、テレビゲームにはまり込み、読書をせず、日々刺激を求めているこの社会(著者は高度刺激社会と名付けている)に未来はあるか。刺激には限界がない。レベルを上げてもすぐに耐性がつき、よってさらに強い刺激を求める。このままだと良くない方向に我々は進んでいってしまうのではないか。特にまだ未成熟である子供達にとって、強い刺激は発達に悪影響を及ぼす。なんとか流れを変えないとまずい。
そこで提唱している概念が「退屈力」だ。退屈力とは、外からの刺激で脳を興奮させるのではなく、刺激の少ない中で脳と身体を満足させる能力のこと。それはつまり、子供達の鬼ごっこであり、古典の名作に触れることであり、型の習得である。
今はともかくとして、昔の子供達には遊びの選択肢がなかった。だから鬼ごっこやかくれんぼなどの基本的な遊びに工夫を重ね、その中で楽しみを見出した。古典の名作には必ずといっていいほど退屈な場面があって読むことが苦しく感じられる。しかしそこを乗り越え読み終わってみれば、その部分が重厚な世界を支えていたことに気づく。武道の型は不自然な動きを要求されるので慣れるまでが大変だ。身体の各部位に一つずつ意識を向けて、それを反復する。一見地味な作業だが、しっかりと意識すれば自分の成長や新しい発見があって十分に楽しむことができる。著者は空手の前蹴りだけで3年以上も武道日記を楽しんだという。
数学者のラッセルは、「退屈の反対は興奮である」と言っている。そして、退屈から人は戦争を起こすとも。人は退屈から逃れるためならどんな種類の刺激も求める。たとえそれが不愉快なものであったとしても。いじめの理由も退屈が関わっているかもしれない。だからこそ、しっかりと退屈力をつけることが重要だ。
そしてそのための有効な方法は、勉強である。地味な中に面白みがある勉強をすることで、退屈力を鍛えることができる。勉強する体力がない人間に、仕事ができるわけがない。仕事とは勉強以上に退屈な部分が大勢を占めるのだから。
だからお父さんお母さん、子供達に自信を持って「勉強しなさい」と言ってよい。さあ、勉強しよう!
という本。
感想
久しぶりに痛い読書をした気がする。私は著者が批判しているタイプの人間だ。古典の退屈な部分に耐えられないし、ネット接続時間も長い。めんどくさいものが苦手で、納得のいかない忍耐も難しい。つまらない人の話は聞かない。ちょっと瞑想でも始めて落ち着いたほうがいいのかもしれない。いやそうじゃなくて、武道でも始めた方がいいかもしれない。退屈力をつけねば。
面白いと思ったのは、退屈の効用と勉強という作業の仕組み。
退屈というのはしんどいのだけれど、でもそれは「ため」を作る上で非常に重要。昔の人は今のように簡単に物や情報が手に入らなかった。だから1冊の本を回し読みして、何度も何度も読み直すことで内容を暗唱してしまうこともあったらしい。漫画が欲しいけれど次のが出るまで待てないからと自分で作ってみたり。そういうパワーは一度深くしゃがみ込まないと発揮できない。満たされないことを受け入れて、力を溜めるという発想は取り入れていきたいと思った。
勉強とは何かなんて考えないで良くも悪くもない成績を残した学生時代だったけれど、著者の言うそれはすごくシンプルだった。
1 解法のルールを理解する(知らないことを学ぶ)
2 何度も繰り返してルールを技として身につける(やってみる)
3 実現度を100パーセントまで高める(習熟し、完成させる)
これ人によっては当たり前に響くんだろうけれど、私には大きな気づきだった。たったこれだけなんだ、勉強って。いや勉強だけじゃない、スポーツや仕事にだって応用できるだろ。何かを習得する際は、今自分がどこにいるか把握して、目の前のことに集中すれば上達は早い。ちょっと英語の勉強にでも使ってみようかしら。
現在就活中である。そう遠くない未来に未経験の仕事を始めるだろう。そこには色々なストレスが待っていて、退屈もきっとあるだろう。その時ここで学んだことが役立つはず。せっかく本読んでんだから、知識使わないとしょうがない。
良い本でした。