すんごいものを見てしまったという感想。
病院関係者なら人が死ぬシーンにたくさん出会うかもしれないが、一般の人々がそれに遭遇する機会はほとんどない。誕生も死も、目に見えないところで日夜行われている。だから私は、人がどのように生まれるのかも、どのように死んでいくのかも経験がない。知らない。
話を聞くに、抗がん剤治療やらスパゲティ症候群やら、とてもじゃないが死を前にした人たちの環境は凄まじく悲惨で、壮絶なものらしい。
しかし、今回紹介された安楽死というのは、それと反して全くもって穏やかだった。静かな個室でベッドに横になる小島さん(52歳)。連れ添ってくれている2人の姉に感謝の気持ちを伝えながら、安らかに亡くなっていった。本当に亡くなる直前まで笑顔だった。
これはすごいことなんじゃないかと、何も知らないながらに思った。
小島さんは、多系統萎縮症という体の機能が徐々に衰え動かなくなっていく病にかかっていた。キーボードを打つのが難しくなったり、喋りづらくなったり、そして最終的には人工呼吸器をつけて生きていくことが余儀なくされる残酷な病だ。
実際に病院を訪れ、人工呼吸器をつけて生きている自分の将来の姿であろう患者さんを見てしまった小島さんは衝撃を受け、自殺を図る。生の喜びとは何か。生きているとはどういうことか。寝たきりになって、おしめを替えてもらっても、ありがとうもごめんねも言えなくなる自分。そのような状態でも生きていきたいかどうか。
小島さんは、安楽死を選んだ。
もちろんご家族は複雑な心境で、反対する人もいた。でも最終的には、小島さんの意志を尊重して、実行されることになった。
今現在、日本では尊厳死と言って、延命治療を控えたり、中止することは消極的安楽死という形で行われ始めているが、安楽死は違法。もし医師が行うと、殺人罪に問われてしまう。
そこで、外国人患者も受け入れている安楽死合法の国、スイスへ行くことに。スイスにはいくつかの安楽死団体があり、ここではライフサークルという団体が紹介されていた。会員数はおよそ1660人。そのうち日本人は17人。日本人が急激に増えているとのこと。
「スイス人にとって最も重要なことは、権利を行使したいということです。生きることも死ぬことも私たちの権利だと思います」という代表の言葉は心に残った。
スイスに飛んで、安楽死の手続きを始める小島さん。
安楽死には必要な4つの要件がある。
- 耐え難い苦痛がある
- 明確な意思表示ができる
- 回復の見込みがない
- 治療の代替手段がない
この要件を満たしていた小島さんは、2日間の猶予が与えられる。ここで考えを改め、キャンセルしても良い。
小島さんは、考えを変えなかった。
きりがないんだよ。人間なんて、いつ死んでも今じゃないような気がするの。私だって今じゃないかもしれない気持ちは無きにしもあらずよ。
そして、安楽死が実行された。
一方で、小島さんと別の選択をした人もいる。
同じく多系統萎縮症と診断された鈴木さん(50歳)は、人工呼吸器をつけるかどうかの選択を迫られていた。家族は、本人の意思表示が難しくなる前に確認しなければならない。娘さんは、「姿があることは生きてるってことでしょ。姿があるかないかは私の中ですごくでっかい」と語っていた。
最終的に、鈴木さんは人工呼吸器をつけて生きていくことに決めた。理由は、「家族との何気ない会話」とのことだった。体が動かなくても、喋ることが出来なくても(目を瞑ることでイエスの意思を伝えることができる)、家族とコミュニケーションできる喜び。それが鈴木さんにとって、生きていく支えなのだ。
まとめ
正解なんてない。それぞれがそれぞれ納得のいく形で、死を迎えればいい。ただ、選択肢はあったほうがいいなと思った。小島さんの最期は、本当に安らかで、ご家族とも感謝の気持ちを交換し、笑顔で亡くなられた。もしあの姿が死のスタンダードになったとしたら、私たちの死の捉え方が大きく変わる、それくらいに衝撃的なものだった。
小島さんが今回の撮影を引き受けた理由は、この番組を通じて日本でタブー視されている安楽死の議論が進むことを願ってのこと。すごいことだと思う。死ぬ瞬間までカメラを同行させるのだから、ご家族も含めて強い覚悟が必要だったはず。
日本は少子高齢化が進んでおり、一番層が分厚い団塊の世代も70代に突入した。死を真剣に意識する人が増えれば、自然と安楽死の話は進む気がする。誰だって苦しんで死んでいきたくはない。番組を視聴した直後の今の気持ちとしては、安楽死を自分が選択する可能性はすごく高いと思う。
一度自分の人生、そして死について考えたい。人と語ってもいいなぁ。