atoiuma’s blog

人生あっという間。マイペースにおもしろく。

余裕をシェアすることが快適に生きるコツ

基本的に、自分のことは穏やかでじんわり上機嫌だと思っている。

 

自分を見失うほど忙しいわけじゃないし、仕事が毎日憂鬱なわけでもないし、小さいストレスはあっても大きなものはないから、死んだ顔はしていないはずだ。不機嫌な人が大嫌いだというのも大きい。

 

そうやって穏やかでじんわり上機嫌をやっていると、いろんな人がいろんな話をしてくれる。勧誘と長くてつまらない愚痴以外、だいたい面白く聞いている。向こうも笑顔なことが多いし、基本スタイルはこれで良い。

 

しかし、人生には予測もしない事態が突然起こる。不運が重なることもある。

 

そうなると、余裕を失って思考能力が低下し、笑顔が消えて、一人で抱えることが難しくなる。この時に人の話を聞くのはちょっとしんどい。私に余裕がないからだ。

 

 

むしろ、余裕がないので「俺の話を聞いてけろ!」って思う。

 

その時に親身に聞いてくれる人のありがたさよ。心の底から欲している時に助けてもらえるって本当に嬉しいし、感謝の念が生まれる。多分こういう経験をしている量が人への優しさに関わっている気がする。

 

もちろん、相手もいっぱいいっぱいで助けてもらえないこともある。それはしょうがない。だって余裕がないのだ。私だって余裕がないから助けを求めているのであって、お互いにピンチだからこの関係性に救いはない。別の人に当たろう。

 

何が言いたいかというと、余裕って大事だということだ。

 

余裕はとても立派な価値で、それを持っているだけで素晴らしい。

 

たまに、自分のことを卑下するのが得意な人に会う。容姿が悪いとか、お金がないとか、何の特技もないとか、モテないとか。でも、そういう人たちはだいたい謙虚で、優しさがあって、余裕を持っている。彼らに話をすると親身に聞いてくれることが多く、それだけで救われる。柔らかい空気がそこには流れている。

 

一方、自分のことでいっぱいいっぱいの人間は、不機嫌になりやすい。必死で余裕がないからだ。その扱いを間違えると、犯罪行為をしてしまったり、うつ病に倒れたりする。ピリピリとした空気が流れている。

 

だから、余裕がある人が余裕がない人を引き受ければ良い。余裕をシェアすれば良い。余裕は流動的だから、持っているときもあれば、持ってない時もある。持っている時は分けてあげて、持ってない時はおすそ分けしてもらう。すごくいいシステムだと思う。

 

では、余裕がない「集団」の場合はどうするか。自分だけじゃなく、みんな余裕がないパターン。例えば、お父さんとお母さんが毎日喧嘩するような家庭で、小学生の子供がいじめにあっているみたいな。どこにも隙間がなく、バキバキに硬直している環境。

 

そんな時は、もうそこに希望はないので、別のコミュニティに行くしかない。子供目線で言えば、学校の先生、友達、塾の先生、スイミングスクールの親しみやすい兄ちゃん、親戚、近所の商店街のおじさん、いつも公園に座っている老夫婦、誰でもいい。必ず誰かは信用できるし、余裕を持っているはずだ。そこに行って、余裕をおすそ分けしてもらう。そこから打開策を練っていく。

 

そう考えていくと、やっぱり自分が所属するコミュニティというのは多種多様な方がいい。もし友達が一人しかいなかったら、家族だけしか拠り所がなかったら、そこが壊れた時どうするのだろう。余裕が消えた組織から動けないというのは、地獄だ。

 

鴻上さんも世間(ざっくりコミュニティのこと)を増やした方がいいと言っていた。全くもってやっぱりその通りだわ。

hirosweets.hatenablog.com

 

まとめ

余裕が大事。余裕は流動的で、持っている時と持ってない時がある。持っている時はシェアしよう、持ってない時はおすそ分けしてもらおう。余裕がない集団にいるとしんどいので、いくつかコミュニティを持っておこう。そうすると快適に生きやすくなる。

 

ちなみに、この記事を書いたのはまさに私が余裕がなくなったからなんですが、いつも笑顔で余裕のある外国人の友人に助けてもらいました。海外の人と繋がっておくのは日本スタイルに息苦しくなった時にすごく良いです。コミュニティは多様であれ。