atoiuma’s blog

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英語モードは演劇的である

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前回に引き続き、齋藤孝さんの本。

 

学生時代、英語の授業で発音をネイティブっぽくすると揶揄されるというのはよく聞く話で、私の時もそうだった気がする。帰国子女の方はそれが原因でいじめられることもあり、わざと下手な発音で授業を受けることもあるらしい。なんだそれ。

 

一体なぜこんなことが起きるのだろう。嫉妬?でも数学や理科が得意な人でいじめられたという話は聞いたことがない。

 

著者はその理由を「日本人の身体とは異なる身体性に違和感を感じるから」と指摘している。なるほど確かに、英語を話すネイティブは日本人に比べて表情が豊かで身振り手振りも大きい。海外のカルチャーで育った帰国子女の方達にもその傾向が見られるかもしれない。日本語の身体と、英語の身体は異なるものであり、よって違和感を覚えると。

 

では、英語の身体とは何か。

 

それは、演劇的な身体だ。演劇と英語は似ている。どちらも抑揚がしっかりとあり、表現が大きい。また、どちらも最初に突破しなければいけないのは「恥ずかしさ」である。なるほど。

 

なので、まず私たちは英語を学ぶ前に、身体を日本語モードから英語モードへとスイッチしてやる必要がある。そうしないとどうにもぎこちない、堅苦しい英語になってしまうのだ。

 

そこでオススメなのが、ウォーキングイングリッシュ。座って背中を曲げてブツブツ言っていたんじゃダメで、立って歩いて、テンポを作りながら音読していく。すると身体がほぐれて声も大きくなり、恥ずかしさも薄まっていく。役者はそうやって台本を身体に染み込ませるそうだ。英語も同じようにやるといいのでは?という提案。

 

 

専門が身体論である齋藤さんらしい主張だなと。最近自分のやる気スイッチは身体にあることが判明してきた私にとって、身体を使って英語を学ぶという案は魅力的に感じられる。無機質なトーイック学習、しんどい。。。

 

演劇と英語は似ているという指摘は確かにそのような気がする。今でこそ慣れたけれど、最初英語を話し始めた時はとても恥ずかしかった記憶がある。「i have a reservation.」なんて簡単な英文ですらなかなか出てこなくて、声も小さくなっちゃったりして。でも、綺麗な外国人女性と話す機会だったり、あるいはインドで無茶苦茶な対応をされてぶちぎれた時、急におしゃべりになる自分がいて、ああ面白いなと思った。なんだ、話せるじゃないか。恥ずかしがっていただけか、失敗を恐れていただけか。

 

そうやって経験を積んでいくと、だんだんと英語モードの人格が形成されていく。英語モードは日本語モードに比べて、テンションがやや高め。ポジティブなワードもよく使うし、くだらないジョークも結構言う。日本語に比べてエネルギーのやりとりがスムーズに行われるので、元気になることが多い。ああ、貴重なり。

 

そういえば、引きこもりから脱出してしばらく経った時、欧米人の表現力に憧れていた時代がある。いい意味で解放されているなあと。それを習得したくて海外留学を考えたこともあったが、結局行動には移さなかった。でも、英語はちょこちょこやっていて、それを海外旅行で試してみたりして、そしたら外国人との交流も徐々に始まって、英語人格が手に入った。たまに「オープンな人ですね」と言われることがあるが、それは英語を学んだから身についたことかもしれない。

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大人になって、こんなに飛び跳ねたことありますか?私はないです。

 

英語を学ぶということは、語学習得の価値に加えて、演劇的でちょっと上機嫌なモードを手に入れる上でも有効なのではないかと。そういう目線に立ってみると、英語学習が無機質なものじゃなく、生き生きした面白いものに感じられてくる。「How cute!」とかね、自分で言ってて「俺、テンションたっかいな!」と思うけど、やっぱり楽しいですよ。それは確かに、演劇的で、ちょっと盛っていたりするんだけど、それが奨励される雰囲気が英語にはある。だから自然と盛り上がってくる。

 

そうなってくると、興味が湧いてくるのが、3つ目の言語の獲得だ。中国語、韓国語、スペイン語、フランス語、タイ語インドネシア語ベトナム語。。。なんでもいいけれど、きっと日本語、英語にはないモードの自分が手に入るに違いない。3つあったら人生豊かだろうなあ。

 

言語の数だけモードがあるということになると、方言持っている人はいいなあ。既にもう2つ持ってるやん!めっちゃ羨ましいわ!にいちゃん、ほんまにラッキーやで!

 

就職決まって余裕が生まれたら、3つ目の言語に挑戦してみたい。