atoiuma’s blog

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日本人は「やめる練習」がたりてないを読んで、英語での受発信がしたくなった話

f:id:atoiuma:20200710163910j:plain コロナ禍、8月、東京。無茶苦茶暑い。外にいたらあっという間に溶けてしまうので、涼しい屋内に避難だ。毎年8月は「いのち大事に」を掲げているが、今年はコロナのおかげでマスク着用なので、本当に気をつけないと危ない。分厚い体に猛暑は洒落にならんのだ。

 

さて、先日読んだ本の感想を。タイトルにグッと惹かれ、星野ルネさんの「やめると逃げるが同じに見えてしまう社会」という部分を読んで、これはもう読まなくちゃだめだ!と衝動買いした。

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日本人である著者があるきっかけから外国人と交流するようになり、ついには子供と共にマレーシアに移住する。その中で経験した日本とマレーシアの違いが語られている。本当に面白かった。

日本人は「やめる練習」がたりてない (集英社新書)
 

ハッピーじゃないから、やめる

マレーシアでは、子供の転校が頻繁に行われる。理由は単純明快。「子供に合わないから。ハッピーじゃないから」だ。しかも、学校の選択肢はマレーシア国内だけではない。他の国も対象に入る。自分の子供の才能が生かせる環境はどこにあるのだろうと思考し、試し、ダメなら撤退して次にいく。なんてフットワークが軽いのだろう。。。

 

子供だけではなく、大人も辞める。実際に、著者のお子さんが通っていた学校の教師は、1年間でほとんどいなくなってしまったそうだ。大人も「ハッピーじゃないから辞める」のだ。それは甘えや逃げではなく、自分が幸せになるための試行錯誤。自分の能力が活かせなかったり、合わない環境で時間を使うことはない。次に行こう。

 

日本では、なかなかこうは行かない。履歴書に空白を作ってはいけないし、すぐに退職すると「この人は忍耐力がないのではないか」「またすぐに辞めてしまうのではないか」という印象が付き、就職に不利になる。だから、辞めない。我慢する。しんどい。

 

そういえば、私が去年モリモリ面接する中でよく言われたのが「どうせすぐに会社辞めて旅に出るんでしょ?」という吐き捨てるようなセリフだった。バックパッカーやってたというバックボーンは、社会ではその様に認知されるのだなと驚いた。「バックパッカー生活には満足したので大丈夫です」と伝えても、顔はどこか疑っている感じで、この疑惑を拭えなかったのが就活で失敗した理由のひとつなのかもしれない。めんどくさい。

 

マレーシアでは辞める練習、日本では我慢の練習

著者のお子さんは、日本で保育園に通っている間は好奇心いっぱいで楽しくやっていた。ところが、小学校に上がった途端、元気を失った。毎朝学校に行く時間が来ると、泣き出してしまう。どうやら伸び伸びしていた保育園生活と違い、小学校生活は息苦しかったらしい。そこで、マレーシアに飛び、インターナショナルスクールに通うことにする。

 

すると、英語がわからないにも関わらず、彼は元気を取り戻す。理由は「先生が褒めてくれるから」だ。学校の先生たちは、とにかく生徒たちをよく観察し、褒める。すると生徒たちは自信を獲得し、チャレンジするエネルギーと勇気が得られる。

 

面白いのは、小学生の段階であらゆることを意志決定させることだ。遠足や英語のスピーチコンテスト、運動会など、様々なイベントをやるかどうかは生徒自身が決める。日本の様に運動が苦手な生徒も強制的に運動会に参加するということがない。なんて素晴らしいシステムなんだ!

 

先生たちから温かい言葉をもらいながら、生徒たちは自分で意志決定をする。もちろんチャレンジが失敗に終わることもあるし、運動会に参加しないと決めたけど、あとでやっぱり参加すれば良かったと後悔することもある。でも、それこそが学習なのだ。自分で決めて、その結果を受け入れる。ダメだなと思ったら撤退し、これが好きだ!と思ったら突き進む。自然と試行錯誤、やめる練習が積み重なり、自分という存在を学んでいくことができる教育システム。優秀な生徒は飛び級もある。なんて素敵なんだろう!私もこんな環境で育ちたかった!

 

一方、日本はというと、みんなと同じことをやらされる。イベントは義務だし、意志決定の機会も少ない。先生に好かれるということは、従順であるということだ。最近ではツーブロックがダメだのマスクは白じゃないとダメだの地毛が茶髪でも黒髪に染めろだのとよくわからない規則があるらしい。ほんとくだらないなと思うけれど、しょうがない。学校は「我慢の練習」をするところなのだ。気をつけ!前ならえ!

 

著者は早稲田大学を卒業しているが、

一流大学に行った人の多くが、実はこのゲームの存在に気づいていると思う。彼らは、無意味だなと思いながらそれを実行できる人たちなのだ。やりたくないことも、クールな顔して効率的にやっちゃえる人。好きか嫌いか、必要か不必要かは度外視して実行できる人。だから、有名大学の学生は頭がイイというよりは、一定の「我慢ができる」人たち。無意味だなと思うことを覚えたり、わけのわからないルール、非効率的なことに耐えらえる人材なのだ。   p.93

とコメントしている。面白い指摘。

 

で、これには価値があると。

実際に会社に入ってみると、理不尽さにビックリする。4年ごとに転勤があり、住むところも選べない。私がいた会社には朝礼や社歌、よくわからないルールが山ほどあった。上司は理不尽な要求をし、男性社員は無意味に怒鳴られる。サービス残業は当たり前で、業務に関係ない飲み会が頻繁にある。女性社員だけがお茶汲みを命じられたりする。こういうのに耐えるメンタリティを作るには、日本の学校教育はうまく機能していると思う。自分の頭で考えて「課長、それは違うと思います」という人は、会社にとっては面倒くさいのだから。従来のようなサラリーマンになる人は、今の学校で良いのだろうし、一生それでハッピーな人もいるわけで、これはこれでアリだ。 p.93-94

 

私は正社員を経験したことがないのでわからないのだけど、こんな感じなのか。こういうのってブラック企業だけだと思っていた。早稲田卒の人が入社する様な会社でもこんな感じってことは、日本社会で生きていく上で一番大事なことは「我慢力」ということですね。だったらみんなそう言ってくれれば良いのに。ああ、だから体育会系の人たちが重宝されるのか、理不尽に慣れているから。

 

ついこないだ、バイト先でより効率的で楽なやり方を思いついて上司に提案したら「今回はたまたまラッキーだったんだからな。特別だぞ」なんて言われてイラついた私には日本で正社員は出来ない気がする。会社とは利益を追求する組織で、そこには損得が関わってくる。より低コストで価値が生み出せるならそれを選ぶことはごく自然なことだと思うのだが、その提案は「めんどくさいもの」へと変換される。私はとにかく楽に早く作業を終わらせたい。そんな我慢力のない私が日本社会にうまく組み込めないのは当然なのかも。スッキリした。ちなみに、日本人はイタリア人の2倍働いてるらしい。それで経済が上がってくれれば良いのだけど、巷では「失われた30年」とか言われてる。いろいろ大変だわ。

 

海外のススメ

著者の人生は、そして考え方は、海外と触れたことによって大きく変化した。

 

日本語の情報を入れすぎないこと。英語で情報を取ってくること。日本人だけじゃなく、外国人とも付き合うこと。そうすることで、世界は日本だけじゃなく、無数にあることがわかる。中学生になった息子さんは、アメリカ人、イギリス人、マレーシア人、イラン人、ザンビア人、パキスタン人という多様な先生陣から学び、コミュニケーションしているらしい。めっちゃ楽しそう!

 

私自身も、ちょこっと英語ができるだけで世界が大きく広がった。本当に生きやすくなった。今はタイ語を習い始めたのでタイ人とのコミュニケーションが多いが、学ぶことは多い。コロナが落ち着いたら1ヶ月でも良いからタイに留学して言語を集中して学びつつ、タイの暮らしを経験したいとも思っている。マレーシアにも行きたい。インドネシアにも、ミャンマーにも、フィリピンにも、あちこち行きたい!

 

まとめ

「日本ちょっとしんどいな」と思っている人にオススメ。いろんな発見があります。生きづらさを抱えている人で、お金や時間に都合が着くなら、みんなバンバン海外に行ってしまえば良い。もちろん行ってみたら日本の方がいいと思うかもしれない。そしたら海外生活を「やめれば」良いだけの話。自分の幸福の輪郭が一つ掴めたのだからハッピーだ。

 

思い返してみれば、私が普段仲良くしている人たちは、海外属性のある日本人と外国人がほとんどだ。そんな私が、日本人しか理解できない日本語でブログやTwitterをやるのってどうなんだろう。それよりも、英語でやった方がいいんじゃないか。

 

というわけで、少しずつ英語世界での受発信を進めていきたい、そんな夏。