atoiuma’s blog

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セルフレジの普及で世界がまた一つ快適になった話

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昔どこかで書いた気がするのだけど、私はずっとレジで買い物をすることが苦手だった。特に引きこもりから脱出したばかりの頃は本当に苦痛で、全てのものが自動販売機で買えればいいのに!と思っていたくらいだ。

 

なんでそんなにレジが苦手だったんだろうか。

 

その答えが、セルフレジが普及した現在のコロナ禍で生活する中ではっきりとわかった。レジ業務に人間は求められておらず、機械や自分でやったほうが自然だからだ。

 

ルフレジをやってみればわかるが、自分でやると本当にスムーズだ。自分が欲しいモノを持ってきて、バーコードをピッとして、弾き出された総額を支払うだけ。何かを待つ必要がなく、とてもシンプル。最初試してみたとき、「なんだこれは!!!!!!」と本当に感動した。大袈裟だと思うかもしれないけれど、レジでモノを買うというシステムにずっと違和感を持っていた私には、本当に気持ち良い経験だった。

 

たまにコンビニで、耳にイヤホンやヘッドホンをつけたまま会計する客を見かける。あれが世間ではどう思われてるかは知らないが、個人的には良くないなあと思っている。それって相手に失礼では?もちろん最近のノイズキャンセリングイヤホンには外の音を取り込む機能がついてることは知ってる。ちゃんと会話は出来るのかもしれない。でも個人的にはちょっと違うなと思って、毎回レジに行くたびにイヤホンは外すことにしている。

 

この私の行為には、「相手は人間なんだ」という前提がある。相手は意思や感情を持った人間なのだから、失礼のないようにイヤホンを外すというわけだ。

 

しかし、ここで考えるのは「レジ業務を人間がやる必要性」だ。コンビニの店員さんのケースで話を進める。こちらが商品を持ってレジに行く。店員さんは「いらっしゃいませ」と挨拶し、商品を一つずつピッピと捌いていく。しばらくすると、「〇〇円です」と料金が告げられ、私はお金を支払う。商品とお釣りを受け取って、「ありがとうございました」のセリフを聞きながら店を出る。

 

店員さんがやっているのは、商品をピッピと捌くこと、総額を伝えること、お金をもらい、お釣りを渡すこと、そして定形文の挨拶。そこにあるのは無機質かつルーチンで行われる作業だ。

 

この業務、人がやる必要があるのだろうか。やっていることに、コミュニケーションはない。これなら全部機械で代替できるのではないか。

 

欧米ではスーパーに行くとレジでちょっとした世間話が始まると聞いたことがある。そこに雑談やコミュニケーションが生まれるなら、大きな価値がある。しかし日本ではご存知のように、ほぼ何も起きない。コンビニで行われるやりとりは無機質なルーチンだ。客はコミュニケーションではなく、スピードを求めている。だから、お年寄りが小銭探しにもたつくと、険悪な雰囲気が流れる。早くしろよ。Suicaくらい用意しとけよ。

 

だったら、レジ業務に人を置く必要はない。むしろそこにいられると、困る。人間と接する時は最低限の礼儀を持ち、もし機会があれば少しの雑談なんかもしたいと思っている私にとって、無機質なルーチンのやり取りをするだけの対人コミュニケーションはストレスだ。なんとか少しでも人間性を持ち出したくて、「ありがとうございます」と言って商品を受け取るけれど、それくらいしか抵抗できない。

 

ルフレジは、その不自然な買い物という行為をぶち壊してくれた。人がいない。全部自分でやる。なんてストレスフリーなんだ!相手はいない(あるいは、コンピュータ)から無機質上等効率オッケー。イヤホンを外す必要もない。フルスピードで買い物を終わらす。

 

こんなことが可能になったのも、テクノロジーの進歩のおかげだ。AIによって仕事を奪われるとか、10年後も残っている仕事一覧なんて情報を見聞きするけど、基本的にはポジティブに考えていきたい。私にとってセルフレジのインパクトはすごく大きかった。ざらざらしていた箇所がなめらかになった感覚。

 

これからの時代、どんどんAIやテクノロジーが発展していく中で「人間の強みは何か。人間がすべきことは何か」という問いが何度も突きつけられるはずだ。今のところ、コミュニケーションがやっぱりでかいなと思っている。アレクサと話しても面白くないもの。そう考えると、ご機嫌な人とか人当たりがいい人ってこれから需要が上がるかも。

 

21世紀は、強力な問題解決手段であるテクノロジーがバンバン発展していくという点で、生きにくい人たちにとってラッキーな時代なのかもしれない。恐れず、仲良くしていきたい。