atoiuma’s blog

人生あっという間。マイペースにおもしろく。

音読が楽しい

 

齋藤 孝の音読破1 坊っちゃん (齋藤孝の音読破 1)

齋藤 孝の音読破1 坊っちゃん (齋藤孝の音読破 1)

 

 

齋藤孝ブームが到来中。

 

「不機嫌な身体とは、エネルギーが循環していない状態だ」とは著者の言葉。

 

確かにその通りだ。今私が面白くないのは、就職がうまくいかないからだ。エネルギーを投入しても返ってくるのは残念な結果のみで、全然前に進めない。歯がゆい。苛立つ。

 

じゃあどうすればいいのだろう。就職とは相手があることだから、自分でコントロールできる領域ではない。そこでジタバタしてもしょうがない。自分でコントロールできる領域で発散させねば。

 

そこで、音読をしてみることにした。

 

この音読破というのは6冊のシリーズになっていて、有名な文豪の作品をひたすらに音読するというシンプルなもの。記念すべき1冊目は、夏目漱石坊っちゃん

 

日本語を音読するなんて学生時代の国語の授業以来だけど、ちょっと面白そうだと思ってやってみた。

 

いやあ、疲れた!4〜5時間かかった!途中休憩を入れながら、2日ほどかけて音読した。

 

最初はなかなか文体に馴染めずうまく入っていけなかったのだけど、しばらくしてみるとだんだん慣れてきて、そのうち歩きながら音読するようになり、登場人物によって声色を変えてみたりした。そしたらまるで役者のような気分になってきて、成り切って読み進めた。とても楽しかった。

 

やってみるとわかるけど、30分も音読をすると結構疲れる。歩きながらだと尚更だ。でも、すごく気持ちがいい疲労だ。達成感もあるし、エネルギーが循環して元気になる。やっぱりうだうだ悩んだり愚痴を言うよりも、身体を使って何かすることが気持ちがいい。

 

肝心のストーリーだけど、坊っちゃんは気持ちがいいほどの正直者でせっかちで、たくさん笑った。最後、赤シャツと野だをやっつけるシーンはカタルシス!夕食のために用意しておいた生卵6つを野だの顔にぶつけて黄色にしてやったとか大変愉快だ。一回やってみたい!

 

巻末には著者の作品解説も付いている。「漢語」と「大和言葉(中国から漢字が入ってくる前に日本人が使っていた言語)」と「欧米の文体」が一体となった近代日本語の全てが入っており、とてもいい日本語の勉強になるそう。小中学生でも読めるように全ての漢字にルビを振っているので、家族でやってみても面白いかも。

 

まとめ

音読楽しい!新しいストレス発散の手段として、しばらく続ける予定。

 

英語しかり音読しかり、私は演劇的な身体が好きなのかもしれない。

 

追記 191012

 

2冊目、音読終了。

齋藤 孝の音読破2 走れメロス (齋藤孝の音読破 2)

齋藤 孝の音読破2 走れメロス (齋藤孝の音読破 2)

 

 

2巻目は、太宰治。私は文学についてほとんど触れないで生きてきたので、新鮮。

 

走れメロスって、とてもシリアスな友情物語だと思っていたのだけど、読んでみると結構ツッコミどころがあって面白かった。わざわざ自分から王様に突っかかっていく必要はないだろうとか、実は結構先送りしてゆったりしてから城に向けて出発していて、そしたらトラブル多発で心が折れそうになるとか、最後に女の子と恋愛の匂いを残して終わりになるとか。音読に向いた教材だと思う。気づいたら随分と熱心にメロスになりきって音読している自分がいたので。

 

他には、駆込み訴え、女生徒、新樹の言葉富嶽百景が収録されている。駆込み訴えと女生徒が音読してて面白かった。音読って真面目にやると憑依していく感じがあって、特に女生徒とか、思春期の女子学生感を味わうことが出来たのはユニークな体験だった。ほんとよくいろんなことを感じて、考えるよね、思春期って。

 

1巻の坊っちゃんとはまた違う魅力があって、この音読破シリーズ面白いなあと。せっかくなので、全6巻、音読破してやろうと思う。

 

 追記 191015

3冊目、読了。

 

今回は、宮沢賢治だ。

 

収録作は、アメニモマケズ、セロ弾きのゴーシュ、毒もみのすきな署長さん、春と修羅、土神ときつね、なめとこ山の熊、永訣の朝、松の針、無声慟哭、そして有名な銀河鉄道の夜

 

音読は、今までの中で一番しづらかった。銀河鉄道の夜は著者曰く、とても音読向き作品らしいのだが、そうかなぁ。坊っちゃん走れメロスの方が個人的には没頭できた。

 

全体的に感じたのは、宮沢賢治って繊細でとても優しい人なんだろうということ。生き物が生き物を食べて生きていくというこの世の理だったり、嫉妬心や人との別れの悲しみなど、テーマがそう感じさせる。有名なアメニモマケズの詩にも、彼の人の良さが出ている。ちなみに、この詩は世に発表する用に作ったのではなく、彼の死後に手帳に記されていたものが発見された形。自分のために書き、ことあるごとに読み返しては生きる姿勢を正していたのかもしれない。

 

一番好きだったのは、毒もみのすきな署長さん。自分の好きを気持ちがいいくらいに貫き通した話。地獄でもやろうっていうんだから気持ちがいい。

 

ささ、半分を終えた。次が楽しみ。

 

追記 191022

4冊目、読了失敗。

齋藤 孝の音読破4 五重塔 (齋藤孝の音読破 4)

齋藤 孝の音読破4 五重塔 (齋藤孝の音読破 4)

 

 

私にこの文体は無理だった。音読するのが苦痛すぎたのでギブアップ。。。趣味でやっているんだからストレスを溜めることもないだろう。ってことで、スキップして5巻へ。

 

 

英語モードは演劇的である

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前回に引き続き、齋藤孝さんの本。

 

学生時代、英語の授業で発音をネイティブっぽくすると揶揄されるというのはよく聞く話で、私の時もそうだった気がする。帰国子女の方はそれが原因でいじめられることもあり、わざと下手な発音で授業を受けることもあるらしい。なんだそれ。

 

一体なぜこんなことが起きるのだろう。嫉妬?でも数学や理科が得意な人でいじめられたという話は聞いたことがない。

 

著者はその理由を「日本人の身体とは異なる身体性に違和感を感じるから」と指摘している。なるほど確かに、英語を話すネイティブは日本人に比べて表情が豊かで身振り手振りも大きい。海外のカルチャーで育った帰国子女の方達にもその傾向が見られるかもしれない。日本語の身体と、英語の身体は異なるものであり、よって違和感を覚えると。

 

では、英語の身体とは何か。

 

それは、演劇的な身体だ。演劇と英語は似ている。どちらも抑揚がしっかりとあり、表現が大きい。また、どちらも最初に突破しなければいけないのは「恥ずかしさ」である。なるほど。

 

なので、まず私たちは英語を学ぶ前に、身体を日本語モードから英語モードへとスイッチしてやる必要がある。そうしないとどうにもぎこちない、堅苦しい英語になってしまうのだ。

 

そこでオススメなのが、ウォーキングイングリッシュ。座って背中を曲げてブツブツ言っていたんじゃダメで、立って歩いて、テンポを作りながら音読していく。すると身体がほぐれて声も大きくなり、恥ずかしさも薄まっていく。役者はそうやって台本を身体に染み込ませるそうだ。英語も同じようにやるといいのでは?という提案。

 

 

専門が身体論である齋藤さんらしい主張だなと。最近自分のやる気スイッチは身体にあることが判明してきた私にとって、身体を使って英語を学ぶという案は魅力的に感じられる。無機質なトーイック学習、しんどい。。。

 

演劇と英語は似ているという指摘は確かにそのような気がする。今でこそ慣れたけれど、最初英語を話し始めた時はとても恥ずかしかった記憶がある。「i have a reservation.」なんて簡単な英文ですらなかなか出てこなくて、声も小さくなっちゃったりして。でも、綺麗な外国人女性と話す機会だったり、あるいはインドで無茶苦茶な対応をされてぶちぎれた時、急におしゃべりになる自分がいて、ああ面白いなと思った。なんだ、話せるじゃないか。恥ずかしがっていただけか、失敗を恐れていただけか。

 

そうやって経験を積んでいくと、だんだんと英語モードの人格が形成されていく。英語モードは日本語モードに比べて、テンションがやや高め。ポジティブなワードもよく使うし、くだらないジョークも結構言う。日本語に比べてエネルギーのやりとりがスムーズに行われるので、元気になることが多い。ああ、貴重なり。

 

そういえば、引きこもりから脱出してしばらく経った時、欧米人の表現力に憧れていた時代がある。いい意味で解放されているなあと。それを習得したくて海外留学を考えたこともあったが、結局行動には移さなかった。でも、英語はちょこちょこやっていて、それを海外旅行で試してみたりして、そしたら外国人との交流も徐々に始まって、英語人格が手に入った。たまに「オープンな人ですね」と言われることがあるが、それは英語を学んだから身についたことかもしれない。

www.youtube.com

大人になって、こんなに飛び跳ねたことありますか?私はないです。

 

英語を学ぶということは、語学習得の価値に加えて、演劇的でちょっと上機嫌なモードを手に入れる上でも有効なのではないかと。そういう目線に立ってみると、英語学習が無機質なものじゃなく、生き生きした面白いものに感じられてくる。「How cute!」とかね、自分で言ってて「俺、テンションたっかいな!」と思うけど、やっぱり楽しいですよ。それは確かに、演劇的で、ちょっと盛っていたりするんだけど、それが奨励される雰囲気が英語にはある。だから自然と盛り上がってくる。

 

そうなってくると、興味が湧いてくるのが、3つ目の言語の獲得だ。中国語、韓国語、スペイン語、フランス語、タイ語インドネシア語ベトナム語。。。なんでもいいけれど、きっと日本語、英語にはないモードの自分が手に入るに違いない。3つあったら人生豊かだろうなあ。

 

言語の数だけモードがあるということになると、方言持っている人はいいなあ。既にもう2つ持ってるやん!めっちゃ羨ましいわ!にいちゃん、ほんまにラッキーやで!

 

就職決まって余裕が生まれたら、3つ目の言語に挑戦してみたい。

就活疲れに効く本

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就活が長期化してくると、学習性無力感に陥ったり、だるくなったり、もうどうでもいいやと匙を投げたくなってくる。そんな時に本棚から取り出した1冊。

 

これ、むちゃくちゃ良かったですわ。読んでて力が湧いてきた。

 

何がいいって、やっぱり著者に共感できるからだろう。

 

著者は東大法学部を卒業し、大学院に進んだエリートだ。しかし、どれだけ論文を書いても世間から評価されず、32歳になるまで定職がなかった。奥さんも子供も2人いる状態で、だ。アパートを借りる時も定職がないから断られたりと苦労したらしい。価値があることだと信じて活動していても、全く世間に認められない状態はやはり精神衛生上良くなく、本人いはく、犯罪一歩手間のメンタリティだったと。

 

いやあ、わかるなあ。もちろん彼はエリートで、私は有象無象なので全く土台が違うのだけど、社会に否定されたり、認められない時期を長く過ごすことはしんどいことだ。私もなるべく楽しんだりユーモアに変換したりしているが、やはり疲れるし腹立つこともある。

 

そんな苦しみを、彼はパッションに変えた。passionの原義はsuffering、つまり苦しみで、そこから情熱は生まれるのだと。「不愉快な刺激」を燃料に変えて、どこまで爆発できるかが重要だと。

 

いつ本屋に行っても、必ず「齋藤孝」の名前を見るくらい、彼は大量の本を出版している。その凄まじい量の著作物がまさに彼の爆発であり、苦労した時代にたっぷり溜まった鬱憤は100歳になるまで尽きることはないらしい。すごいエネルギー源だ!

 

今自分が置かれている状況が状況だけに、内容がどんどん入ってきた。私もパッションを持ってドカンとぶつかっていくぞ!ミッションパッションハイテンション!

 

あれ、ちょっと待て。この本以前に読んだことがあるから、もしかして前にも感想を書いたのではと思って調べてみたら、あった。

hirosweets.hatenablog.com

 

ちょうど1年前に書いていた模様。明らかに内容が今回の記事よりも丁寧でわかりやすい。今回の記事、価値ないな。書く必要なかったわ。

 

まとめ

力が湧いてくる素晴らしい本。個人的に今年ナンバー1になるかもしれない。ぜひ、1年前に書いた記事を読んでみてください。

ついにしょぼ喫の飲むチーズケーキにトライした

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3回目の訪問。時間が出来たので、前から興味があった飲むチーズケーキを頂きに参上した。

 

今日のマスターは、ミーミーさんだ。彼女と会うのは2回目。

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ああ、飲むチーズケーキってずっと言ってたけど、フローズンチーズケーキというのか。

 

早速注文すると、在庫が半人前しかないという。ミックスベリーなら一人前用意できると言われ、でもベリーに興味はないなあ。俺はチーズケーキが食べたいんだ。

 

すると、プリンアラモードもちょうど半人前あるという。お、じゃあハーフハーフでどうだろう。話は決まった!二つの味が同時に楽しめるなんて、逆にこれはラッキーだ。ついてるぞ、私!仕事は決まらないけど。

 

最初にやってきたのは、念願のチーズケーキだ。

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これで半人前。なるほど、結構ボリュームがある。暑かったので、あっという間に食べてしまった。そうか、これが飲むチーズケーキか。酸味がちょっぴり効いててとても食べやすかった。

 

さてさて、次にやってきたのが、プリンアラモードだ。

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可愛い!そして美味しい!生クリームが他の店と違ってとても甘く、幸せな味がした。個人的には、チーズケーキよりこちらの方が好みだ。

 

スイーツをガツガツ頬張りながら、ゆったりおしゃべりした(お客さんは私だけ)。今日で2回目だけど、就職の悩み含めいろんな話をし、情報をもらった。こういう場所があるということは、人生を面白くしてくれる。ファストフードやチェーン店では提供できない価値だ。とても楽しい時間を過ごせた。

 

まとめ

念願の飲むチーズケーキを実食できてよかった。ラッキーなことにプリンアラモードも頂けたことだし、これでスイーツ部門はクリア。

 

次はオーナーのえもてんさんに会いに行こう。そして、パスタを注文しよう!

出入国記録を求めて法務省へ行ってきた

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2ヶ月前にインドネシアを訪問した際、パスポートを紛失した。その話はまたどこかで触れるとして、せっかく集めた諸外国のスタンプが、つまり旅の思い出が吹き飛んでしまった。ショックだ。一応日記は書き続けているから記録は残っているけど(写真は何度もスマホを壊したのであまり残っていない!)やっぱり寂しい。

 

そんな時、法務省では出入国記録が手に入るとの情報を得た。それは面白そうだ!法務省も行ったことないし、普段全く近寄らない霞が関界隈に遊びに行く良い機会だということで、行ってきた。

 

霞が関駅から地上に出ると、まず目に入って来るのが裁判所だ。うわあ、この通り知っているぞ!よくテレビで見るやつだ!

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穏やかじゃない通りだった。

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わあ、ここが裁判所か!裁判と聞くと、逆転裁判のイメージしかない。異議あり!!

 

そこからさらに進んで行くと、目当ての法務省が現れる。

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が輝きを失っている。。。

 

入り口には何人かの警備員が立っており、入ろうとすると要件を聞かれた。出入国記録が欲しいのですと伝えると、中に案内してくれた。

 

初の法務省だ!なんだか雰囲気が外の世界と違っていて、ワクワクした。さあいっぱい写真を撮るぞ!と思ったら、警備員さんに館内での写真撮影はお断りしていますと言われた。まあしょうがないか。というわけで、もう写真がない。


簡単な荷物チェックを済ませて、受付へ。そこで書類を1枚もらうので記入する。いつからいつまでの記録が欲しいですかと聞かれるので、期間は事前にしっかり決めておくと良い。

 

記入が終わると、地下の売店収入印紙300円と、返信用封筒と切手を買う。計402円なり。もちろん封筒や切手は各自で持ってくれば買う必要はない。

 

ほんで受付に戻って収入印紙を先ほどの用紙に貼り、返信用封筒に自分の住所と切手を貼って、本人確認書類(運転免許証など)を見せれば作業終了。特別時間もかからないし、複雑な手続きもない。楽チン。1ヶ月以内にお家に届くという。

 

ちなみに、わざわざ法務省に来なくても郵送にて申請は可能(その場合、住民票の写しが追加で必要)。平日に法務省に来れる人なんて限られているし、まあ当たり前だわな。ただ、法務省の雰囲気はなかなか面白いので、来れる人は来た方がいいんじゃないかと思う。無職でよかった。

 

作業を終えて、法務省を出る。

「あの、館内は撮影禁止だったんですが、外観を撮ることは可能ですかね?」

「はい、全く問題なしです!」

ということで、撮った。東京駅みたいな外観をしている。

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さあ作業も終わったし帰ろうかと思ったら、テレビドラマでよく見るアレを見つけた。

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わあ、警視庁だ!本物だ!

 

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隣で作業をしている警察官の方がいて、ドキドキしながら撮影した。いやあ、いい経験をした!

 

まとめ

法務省に行くと、出入国記録がもらえます。402円と本人確認書類があれば楽チンで作れます。郵送で請求もできますが、法務省はじめ霞が関ツアーが結構面白いので余裕がある人は来てみるといいかと。

 

さあ、記録到着を楽しみに待とう!

ピダハンの衝撃的な世界

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文化人類学がマイブームだ。

 

前回は、小川さやかさんの本でタンザニアを学んだ。今回は、アマゾンの熱帯雨林で生活するピダハンの話。

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

 

 

アメリカ人のキリスト教伝道師兼言語学者である著者が、30年以上に渡ってピダハンの村を訪ね、生活を共にした記録。彼らは私たちとまったく異なるカルチャーで生きている。

 

例えば、彼らは私たちのように長時間眠らない。ちょこちょこ睡眠を1日中繰り返す。理由は2つあって、睡眠が短い方が強くなると信じていること。もう1つは、熟睡してしまうと蛇や恐ろしい敵に襲われて死んでしまうからだ。まさにタイトル通り、don't sleep, there are snakes なので、夜中でもピダハンの話声はあちこちから聞こえてくる。

 

例えば、彼らは性に奔放だ。結婚している場合は当然配偶者と性交するが、浮気もある。その場合、二人で共に数日間村を離れる。その間、残された方は嘆き悲しみ、相手を探す。しばらくして二人が戻って来て、そのあとも一緒に生活するようならそれは前の伴侶と別れたことを意味するし、元の相方の方へ戻ることもある。残された方がそれを許すかどうかは人による。ただ、その浮気の行為自体が社会的に蔑まれたり、文句を言われることはないらしい。比較的容易に離婚し、再婚する社会。また、歌や踊りの際には乱交が行われる。よって、同じ村の中には、自分と性交渉をした人が多数いるという状況になる。そのせいか、彼らは基本的に皆仲が良く、全員が親しい友人同士に見えるという。すごい世界だな。。。

 

例えば、彼らは数を数えられない。著者が8ヶ月間教えても、1から10まで覚えることができない。足し算もできない。

 

例えば、彼らには適者生存の文化がある。私たちは子供を大切にする傾向があるが、彼らは特別扱いはしない。2歳児がナイフを持って遊んでいても誰も注意しないし、それによって怪我をしても、それが学習の機会だと捉える(怪我した後で、思い切り叱って治療を施す)。最悪そこで命を落としても、それはもうそういう運命だったのだと受け入れるのだ。また、子供も一人で産むのが基本なのだが、その際に痛みや助けを求めて悲鳴をあげても、周りは助けない。それで死んだら死んだで、そういう運命だったのだと受け入れる。ちなみに彼らの平均寿命は、45歳。日本人の約半分だ。

 

ピダハンが信じるのは、己の力のみ。人に助けてもらうことはほとんど考えていない。自分の身体、力が尽きた時は死ぬ時だ。

 

そんな厳しい世界だが、彼らはとても穏やかで、笑顔が絶えないという。幸福度はとても高く、よそのカルチャーを受け入れることなく毎日漁に出て、食べ物を獲得して生きている。

 

面白いのが、最終的にキリスト教を布教しにきた著者が、無神論者に転向したことだ。彼がいかにキリスト教の素晴らしさを説いても、ピダハンには通じなかった。なぜかというと、ピダハンは「直接体験」を最重要視し、それ以外のものに関心を示さないから。

 

「イエス様はとても素晴らしいお方なんだ」

「ほう、なるほど。ところでお前はイエス様に会ったことがあるのか」

「いや、ない。ずっとずっと昔の人なんだ」

「そうか、お前は会ったことがないのか。じゃあどうでもいいな」

 

なんとシンプルだこと。彼らの生活圏にはテレビもなければラジオもない。映像がない。本もない。大事なのは、今、この現実のみ。だから過去にも未来にもほぼ関心がない。今を生きる。辛いことがあっても、笑って受け入れる。まさに、Living for todayの世界。そんな姿勢に、著者は感化された。目に見えないものを信じるという信仰よりも、直接体験と実証に重きを置くピダハンの価値観に感銘を受けたのだ。結果、彼は無神論者になり、家族は崩壊してしまった。

 

まとめ

すごく面白かった。こんな世界があるんだな。一度行ってみたいと思ったが、30分で発狂しそうなのでやっぱりやめておく。だって、アナコンダもいるし、羽虫はずっと飛んでいるらしいし、眠っている間にゴキブリやタランチュラが身体を這うらしい。耐えられますか?私には無理です!

文化人類学がおもしろい

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前回参加したトークショーで、文化人類学者の小川さやかさんに関心を持った。是非とも著書を!ということで、最新作の「チョンキンマンションのボスは知っている」じゃなくて、一つ前の著書、「その日暮らし」の人類学を読んだ。いや、そりゃ最新作が読みたいけれど、お財布事情が色々あるのだ。現実は厳しい。

 

チョンキンマンションのボスは知っている: アングラ経済の人類学

チョンキンマンションのボスは知っている: アングラ経済の人類学

 

 これが最新作。いつか読む。

 

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)

 

 今回読んだのは、この本。

  

まず驚いたのは、文体の硬さ。いやいや、小川さんは文化人類学者であり、大学院の教授である。そりゃ論文も書くし、アカデミックな文体になるのも当然のことだ。ただ、トークショーでのキャラクターがとてもフランクだったこともあって、なんとなく柔らかい読み物なのかなと思っていたのでギャップがあった。読み終えられるのかなと不安になりながら、無い頭を絞って読んだ。そしたら、すごく面白かった。

 

 

さてさて、そもそも、文化人類学って何だろう。

 

文化人類学はこの世界に存在する、わたしたちとは異なる生き方とそれを支える知恵やしくみ、人間関係を明らかにする学問である。わたしたちの社会や文化、経済それ自体を直接的に評価・批評するよりも、異なる論理・しかたで確かに動いている世界を開示することで、わたしたちの社会や文化を逆照射し、自問させるという少々回りくどい方法を採る学問ともいえる。                        p25

 

なるほど、ざっくり言えば、私たちとは別のシステムで動く世界があって、それを調査して私たちの世界と比べることで色々考えようという学問か。海外に行って日本との違いを楽しんでいる私には相性がいい気がする。

 

アマゾン民族、ピダハン 

本書には、いくつかの異なる生き方が紹介されている。例えば、ピダハンというアマゾンの民族。彼らには、葬式や結婚式、通過儀礼がない。ありがとうやこんにちはなどの「交感的言語」も、左右の概念も、数の概念も色の名前もない。接体験にしか価値を感じず、過去や未来にも関心を示さない。彼らにとって生きるとは、今を生きることであり、己の力で生きていくことを意味する苦しいことがあったら、ただそれを笑って受け入れる。シンプルすぎてすごい。

 

詳しいことはこの本に。また読みたい本が増えてしまった。

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

 

 

タンザニアのトングウェ人

タンザニア焼畑農耕民トングウェ人は、できるだけ少ない努力で生活を成り立たせようとしている(最小生計努力)。自分たちが食べる分しか食べ物を生産せず、余剰を作らない。しかし、友人や知り合いが遊びに来たら、しっかりともてなし食事を提供する。すると、もちろん自分たちの分が足りなくなる。贈与と返礼の関係があるので通常は帳消しになるのだが、来客の数やタイミングが決まっているわけではないので、時に自分たちが食べる分が無くなってしまうことがある。その場合は、別の集落に行って食べ物を分けてもらうのだ。こうすることで、「食物の平均化」が行われる。格差が消えていくシステムだ。

 

ここで面白いのが、人々が客人をしっかりもてなすのは、周りからの嫉妬や呪いを避けるためということ。ちゃんと食事を提供しないと、あとで陰口を叩かれたり恨まれたり呪われたりする、それを恐れて食事を分け与えるのだ。なんて息苦しい!

 

そういう世界だと何が起こるか。頑張らないのである。自分が頑張って大量の食べ物を生産したとしよう。しかしそれは、私有財産としてストックされるのではなく、ちゃんと分け与えなければいけないのだ。真面目に働けば働くほど損するシステム。だったら、最低限自分たちが食っていけるだけ生産する方が楽でいい。このシステムを「情の経済」と呼んでいて、アフリカの発展を阻む要因となっているという(今では利他的な道徳傾向として再解釈されているらしい)。

 

インフォーマル経済と香港

 

タンザニアは貧しい国で、サラリーマンや公務員として働いている人たちが少数派。人口の半分以上は、零細自営業として服や雑貨を売ったり、日雇い労働者として生活している。彼らの労働は政府の雇用統計に載っておらず、この経済圏をインフォーマル経と呼び、21世紀に入って中国やアフリカをはじめとする発展途上国間の交易が活発化したことにより規模が拡大。主流派の経済を脅かすもう一つの資本主義として台頭してきている。

 

インフォーマル経済の大きな舞台になっているのが、最近はデモの話題で持ちきりの香港だ。香港は、中国本土よりもビザを取るのが容易、不法労働や売春などの犯罪に寛容で、中国との国境で違法な売買も行われているらしい。つまり、ガバガバ。そこにアフリカ商人をはじめとする世界中の人が集まり、新自由主義的な世界観で騙し騙されの戦いを繰り広げている。かの有名なチョンキンマンションには、稼ぎを求めてツワモノ達が集うらしい。以前一度泊まったことがあるんだけど、特別何も面白いことは起きなかった。1階の入り口でインド人らしき人に馴れ馴れしい勧誘を受けて、ストレスフルなインドを思い出したくらい。やっぱり興味があるので小川さんの新著読みたい。

チョンキンマンションのボスは知っている: アングラ経済の人類学

チョンキンマンションのボスは知っている: アングラ経済の人類学

 

 

未来がわからないことがマイナスだとは限らない

タンザニアの人たちの生活は厳しい。就職している人が少ないので、みんな生活が不安定だ。しかし未来がわからないことを、彼らは悲観的には捉えない。家族で収入のバランスをとり、旦那が稼いでいたら奥さんが好きな仕事や思い切った投資を、逆に旦那が無職になったら堅い仕事をしてサバイブする。ジェネラリストとして多くの仕事を経験し、生計多様化戦略を取る。そうやってじっと好機を伺い、ここだと思ったら勝負を賭ける。

 

友人のジョニは、「明後日の計画を立てるより、明日の朝を無事に迎えることの方が大事だ」と語ったが、この言葉は、筋道立った未来を企図することの代わりに、今可能な行為には何にでも挑戦すること、そのためには常に新たな機会に身を開いておき、好機を捉えて、今この時の自分自身の持っている資源をかけていくことを意味している。                               p65

 

このたくましさに刺激を受けた。また、living for today(その日を生きる)スタイルの彼らに、

生きていることからのみ立ち上がってくるような自信と余裕、そして笑いが彼らにはあった。                                                                                                              p217

という点に興味を惹かれた。何かで表彰されなくたって、給料が少なくたって、異性にモテなくたって、就活がうまく行かなくたって、生きていることそれだけで自信を持っていいんだと考えてみると、なんだか愉快な気持ちになってくる。むやみに自分を責めるな、落とすな、しなやかに明るく生きよ。そんなメッセージをもらった気がした。

 

 まとめ

他にも、タンザニア人のネットワーク的生き方とか、私たちは勤労主義と怠け者主義の間で絶えず揺れ動いているとか、貸し借りの話など興味深い話がたくさん出てくる。とても面白かった。

 

文化人類学、いいっすね。 もっと読みたい。

 

これを書いている時点で、ピダハンの本を読んでいる。これがまた面白くて!まだまだ知らない世界がたくさんあるんだなと。感想はまた別の機会で。