やる気を出すことの弊害について
今年に入ってから、少しずつ動いている。調子がいい。
ダイエットしたりトーイック受けたり長年惰性で働いたバイトをやめて新しいものを始めたり筋トレしたりプログラミングやったり。
就活には関してはもう諦めムードだけど、とりあえずIT関係を目指そうと思って活動している。
毎日朝4時に起き、21時頃には眠る生活も気づいたら当たり前になってきた。満員電車とおさらばできる嬉しさがでかい。
来月からの新時代「令和」を気持ちよく迎えられそうだ。
さて、ところがだ。
最近やる気が出てきたもんだから活動量が増えているんだけど、それによって逆に疲れてうんざりしてしまうことも出てきた。
どういうことか。
やる気があるということは、高いエネルギーとモチベーションを持ってことに当たるということだ。すると、たくさんのエネルギーを対象に注ぐことになる。しかも結構な期待を持って。
それで爆進できれば快楽。やればやるだけ結果が出るならもう止まらない。ヒャッホーだ。
ところが、特に今取り組んでいるプログラミングなんかはそうではない。いくら考えても、試行錯誤してもわからないことがある。時間だけがどんどん溶けていって手元には何も残っていない感。まあ実際には経験として蓄積されるのかもしれないが。
そういうことが増えてくると、「割に合わないぞ」という感情が生まれてくる。高いエネルギー投入と期待値が見返りのハードルを上げてしまうのだ。
思えばこういうことは過去にも結構あった。30分走ってたら体重が落ちたもんだから、じゃあ60分走ろう!と実行するも、それほど痩せない。なんだよ人が頑張ってんのに!じゃあやめた!みたいな。
何が言いたいかっていうと、ちょっと最近調子に乗りすぎていたんじゃないかな、私。結果が出てきてそこに欲が出て気持ちだけ前のめり。タネを植えてしっかり育てた上での収穫なのに、ひたすらに毎日畑をチェックして「なんだよ、まだ育たねえのかコンチクショー!」と苛立っているような。
つまり、焦っている。そうだ、焦っているんだ。ちょっとずつ結果が出てきたことで色々やる気が出てきて、もっともっと早く早く!が出過ぎている。それがプラスに働くなら結構だが、ちょっとマイナスに向かってる感じがする。
静かに、淡々と手を動かす。ほんで口元がちょっとにやけているくらいがちょうどいいんだろう。
今年のテーマの一つは「コントロール」なので、うまく自分と付き合っていこうと思う。瞑想が良いと聞いて2、3日前から始めたが、地味に続けていこう。
おまけ
今日の文章を書いていて思い出したほぼ日の記事。今は亡き天才プログラマーで任天堂の元トップである岩田さんのわかりやすい継続の仕組み解説。面白い!